2017年07月02日

奥の細道を辿るE 壬生〜鹿沼

今回は、壬生〜鹿沼までの約18キロを歩く。
旧宿場町は壬生宿から壬生街道を辿り、楡木宿で例幣使街道と合流して鹿沼宿まで。

東武宇都宮線と東武日光線の分岐点になる「新栃木駅」まで車で行き駅周辺の駐車場に車を停め、前回ゴールの東武宇都宮線「壬生駅」まで電車で移動。

壬生駅前を6時半にスタートし、商店街通りに残る脇本陣跡を右手に見ながら歩くと国道352号線が交差する。交差点を左折し鹿沼方面を目指す。
日曜日の早朝と言うことでクラブ活動に向かう何組かの中学生とすれ違うが、「おはようございます」の挨拶が清々しい。

北関東自動車道をくぐった少し先の田んぼの中に「金売り吉次の墓」を見ることが出来る。
吉次は鎌倉時代に源義経につかえていた豪商で、義経が奥州へ逃げ延びる際に同行し、この地で生涯を終えたと言われている。
曾良の随行日記には「ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有」と記されている。

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国道352号線を楡木方面へ進むと「稲葉一里塚」と、その4キロ先に「北赤塚一里塚」がある。
「北赤塚一里塚」の隣には、江戸から二十五里(約百キロ)と書かれた標識が建てられている。

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更に進むと道路の両側に杉並木が現れる。杉並木の距離は100m程度だが、この道が日光に続いていることを初めて実感する。
楡木の追分交差点で左からの例幣使街道と合流する。
交差点には「右中仙道・左江戸道」と刻まれた石の道標が建っている。

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例幣使街道は数年前に群馬県の倉賀野からマラニックで走っているので、ここから日光までの区間は二度目になる。

追分交差点から6キロほど歩き東武日光線の「新鹿沼駅」に一旦ゴールし時刻表を確認した後、駅の北方にある「光太寺」を訪れる。
このお寺には「芭蕉の笠塚」がある。
鹿沼で「光太寺」に泊まった芭蕉が、江戸から所持した編み笠を寺で新しい笠に替えて日光に向かったと伝えられており、芭蕉が亡くなった後に残された古い笠を取り出してこの笠塚を建てたとのこと。

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「光太寺」にお参りをした後は「まちの駅 新・鹿沼宿」に立ち寄り、再び新鹿沼駅にゴールする。
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2017年06月11日

奥の細道を辿るD 小山〜壬生

今回は、小山〜壬生までの約16キロを歩く。
旧宿場町は小山宿から壬生街道を辿り飯塚宿を経て壬生宿までだが、「室の八島」を訪れた為に、コースは途中で壬生街道を一旦外れて壬生で再び街道に合流する。

今回も交通費と時間のコストメリットを考えて「小山」まで車で行き小山駅周辺の駐車場に車を停め、先ず小山城跡公園を散策してから前回のゴール地点を7時半にスタート。

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小山市街地を過ぎて喜沢の交差点で旧日光街道に別れを告げる。
旧壬生街道に入り1キロほど歩いたゴルフ場敷地内に「喜沢一里塚」、更に4キロ先の道沿いに「飯塚一里塚」を見ることが出来る。
何れも市の史跡に指定されており、解説板に詳しい説明が書かれている。

国分寺町の花見ケ丘の交差点で左折し、壬生街道を外れ「室の八島」を目指す。
思川の右岸へは橋を渡るが、曾良随行日記に記されている芭蕉が船で渡河したと思われる箇所が更に上流にあるとの事なので、川に沿って上流に向かって歩く。
随所に立っている「マムシに注意(マムシの絵入り)」の看板にビクビクしながら、持参している地図を頼りにその場所を目指すも分かりづらく、スマホで現在地点を確認しながらようやくたどり着く。

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惣社河岸の碑から1キロほどで「室の八島」がある大神神社に着く。
両側に灯篭が並ぶ参道を進むと本殿前の鳥居に藁で編んだ「茅の輪」が設けられている。
6月中に限定した神事とのことで、説明板に習って「茅の輪くぐり」の儀式を行い本殿に参拝し、「茅の輪くぐり参拝の証」と書かれた木札を購入する。

神社境内にある「室の八島」は池の中に八つの島があり、それぞれに神社が鎮座している。
池のほとりには芭蕉がここで詠んだ「糸遊に 結びつきたる けぶりかな」の句が刻まれた句碑が建っている。
奥の細道の中には、この地で同行の曾良が「室の八島」の由来について芭蕉に説明したくだりも記されている。

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大神神社を後にして壬生を目指し県道2号線を進む。
本日のゴール東武宇都宮線「壬生駅」に到着するが、今回も時間に余裕があった為、「壬生城跡公園」内にある「町立歴史民俗資料館」に立ち寄り、壬生の歴史に少し触れる。

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2017年05月28日

奥の細道を辿るC 古河〜小山

今回は、古河〜小山までの約17キロを歩く。
旧宿場町は、古河宿から野木宿、間々田宿を通り小山宿まで。

所要時間と交通費のコストメリットを考えて、「古河」まで車で行き古河駅周辺の駐車場に車を停めてスタート。

前回のゴール地点に建つ「右 江戸道、左 日光道」と刻まれた道標に従い左の道を進み、街灯に「旧日光街道 古河宿」の旗が掲げられた商店街を数百メートルで右折し、暫く歩くと再び県道と合流。

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古河市から栃木県(野木町)入ってすぐ、県道と国道4号線と合流する付近の少し奥まったところにある野木神社を目指し本殿に参拝。
1,600年前、仁徳天皇の時代に建立された神社とのことで、境内の樹齢1,200年の大イチョウは見応えがあり、黄葉の季節にも参拝に訪れたい。
また境内には芭蕉の句碑があり、句碑の隣の立札には、冬の遊水地の様子を歌った句「一疋屋の はね馬もなし 河千鳥」と書かれている。

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野木神社から国道4号線を暫く進み、国道(旧街道)沿いの「法音寺」を訪れる。
本堂にお参りしたあと、山門の脇にある芭蕉の「道ばたの むく毛は馬に 喰われけり」の句が刻まれた句碑を見る。
解説板には安永9年(1780年)に建てられた句碑で、この句は芭蕉が「奥の細道」の旅に出る5年前、東海道を上方への旅「野ざらし紀行」に向かった際につくられた旨の説明が記載されている。

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国道4号線の70キロポストを過ぎて間々田に入る。
芭蕉と共に旅をした曾良の随行日記には「廿八日、ママダニ泊ル。カスカベヨリ九里」と記されており(※)、江戸を出て二日目の夜に泊まった宿場とされている。
今回も時間に余裕があったので、JR間々田駅の近くにある「小山市立博物館」と「車屋美術館」に立ち寄り、小山の歴史と近代美術に少し触れる。

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美術館を出て暫く歩くと「旧日光街道間々田宿 逢いの榎(間の榎)」の立札が目に留まる。
解説板を読むと「間々田宿の入り口にある榎は、江戸と日光と中間点の目印となり『間(あい)の榎』と呼ばれていたが、いつの頃からか『逢の榎』と呼ばれる様になり、縁結びの木として人々の信仰を集める様になった」とのこと。

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途中の信号で国道4号線から分岐する県道を進み、国道50号線の陸橋をくぐると旧街道は小山市街に入る。
小山本陣跡を左手に見て、本日のゴールJR小山駅に到着。

(※)奥の細道を歩く為に購入した以下の文庫本の曾良随行日記より引用。
 ・「新版 おくのほそ道(現代語訳/曾良随行日記付き)」:角川ソフィア文庫
 ・芭蕉と旅する「奥の細道」:PHP文庫
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2017年05月23日

思い出の旅館

先週末、都内の本郷へ出掛ける用事があり、そのついでに一度訪れてみたいと思っていた旅館「鳳明館」のある場所へ行ってみる。

「鳳明館」は中学校の修学旅行で宿泊した旅館なので約50年振りに訪れたことになる。
本郷の閑静な街並みの中にあり、行ってみると老舗旅館として当時のたたずまいのまま営業されており、門の壁には文化庁の有形文化財に登録されていることを示すプレートが取り付けられている。

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中学校の修学旅行は、早朝に三重県の田舎から名古屋まで貸切バスで移動し、名古屋駅から当時東海道線を走っていた修学旅行専用列車「こまどり号」に乗車し小田原駅で下車。
小田原駅から観光バスで箱根を周遊し、一泊目は「箱根小涌園」に宿泊。
二日目は、鎌倉・江の島〜横浜港〜羽田空港を見学して都内に入り、「鳳明館」がその日の宿になる。
宿での様子は断片的な記憶しかないが、夕食後に東京に住んでいた5人の伯(叔)父と叔母が揃って旅館まで会いに来てくれて、応接間で話をしたことを憶えている。

今では伯(叔)父と叔母共に亡くなっているが、再び旅館の前を通り懐かしい気持ちになる。

たまたま帳場にいらっしゃったご主人らしき同年輩と思われる方と修学旅行で宿泊したこともお話し、宿泊料金をお尋ねすると今でも思いのほかリーズナブルなことがわかる。
二日がかりで東京へ出掛けることがあれば、是非とも利用したい気持ちになる。
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2017年05月09日

赤城乳業工場見学

アイスキャンデーのガリガリ君で有名な赤城乳業の工場見学に娘が応募したことから、孫を連れて「本庄千本さくら『5S』工場」へ出掛ける。

背後の緑の山々に抱かれる様に建つ工場は、2010年にオープンとのことで建物や敷地内の環境にも未だ新しい雰囲気が漂っている。
ここは日本で最大規模のアイスクリーム工場で、国内のアイスクリーム生産量の約10%を生産処理能力を持つ。

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見学は約1時間半のコース。
最初にプレゼンテーションルームで工場概要等の説明とDVD視聴が行われ、その後工場内のアイス製造工程を見学し、最後にガリガリ君ルームで製品を試食(何個でも自由)させて頂く。

工場名にもなっている「5S」は、整理・整頓・清掃・清潔・躾の頭文字をとっており、工場で働く方々の日々の行動に活かされている旨の説明を受ける。
自家用車で工場敷地内に入る際の守衛の方の親切な対応、清潔感が漂う建物内、衛生管理の徹底された工場施設やすれ違う従業員の方からの挨拶等に触れて、職場内に5S活動が浸透されている印象を受け、アイスだけに爽やかな気分で工場を後にする。
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2017年04月30日

奥の細道を辿るB 幸手〜古河

今回は、幸手〜古河までの約15キロを歩く。
旧宿場町は、幸手宿から栗橋宿、中田宿を通り古河宿まで。

前回のゴール東武日光線の「幸手駅」を午前8時にスタート。

旧日光街道に出て、一里塚跡の案内板などに足を止めながら進むと右手に桜の名所「権現堂桜堤」が見えてくる。
もちろん桜は既に散り、つい2〜3週間前は花見客で賑わっていた堤は静かな新緑の遊歩道に様変わりしている。
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中川にかかる橋を渡り、国道4号線と並行して走る旧街道を歩く。
途中、「左 日光道、右 つくば道」と石に刻まれた旧い道標に行き当たる。案内板には、安政4年(1775年)にこの場所に建てられた書かれている。
芭蕉が奥の細道を旅したのが元禄2年(1689年)なので芭蕉はこの道標を目にしていないことになるが、300年も前の姿で現代に残る重要な文化財であることは言うまでもない。

道標を後にして暫く進むと「小右衛門一里塚」がある。日本橋から十四番目(56Km)の一里塚で、土を盛った塚の形を今も留めている。
この案内板には、江戸幕府は主要街道の塚の整備を慶長9年(1604年)から始めた旨が書かれていることから、この一里塚で芭蕉も休憩したかも知れず。

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国道125号線の下をくぐると道は旧栗橋宿に入る。
街道沿いの寺に建てられた「栗橋八福神」の幟を見て、すっかり忘れていたが4年前の七福神巡りのマラニックで栗橋市街も走ったことを思い出す。

栗橋から利根川を渡ると茨城県に入り最初の旧宿場町が中田宿。
街道沿いの「光了寺」に芭蕉の句碑があることを事前に古河市のHPで調べていたので、寺に立ち寄る。
境内に入り本堂にお参りをしてから、ご住職の了解を得て句碑の写真を撮らせて頂く。
句碑には「いかめしき 音やあられの ひのき笠」の句が刻まれている。

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中田宿から古河宿間には、数ある街道の中でも最も美しい景観のひとつに数えられた松並木があったらしいが、昭和13年に道路拡張の為に樹齢300年の松が次々に伐採されて当時の面影は無くなってしまったとのこと。
平成になり松並木の復元整備が実施され、現在は旧街道の両側に新たな松が植えられている。

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旧古河宿に入り、北条氏時代の歴史小説を読んでいると古河公方というのが出てくることを思い出し、時間に余裕もあることから古河歴史博物館を訪れ古河の歴史に触れる。
この地は古河城の城下町として発展したとのことで、市内の史跡・寺社を巡る散策道には石畳が敷かれ景観も整備されている。

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「右 江戸道、左 日光道」と刻まれた日光街道古河道標まで進み、今回はJR宇都宮線の「古河駅」をゴールとする。

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2017年04月29日

ネモフィラ

スポーツ文化公園内に植えられたネモフィラが4月上旬から咲いており、セラピーガーデンを綺麗に埋め尽くした水色の花がジョギングの目を楽しませてくれる。

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2017年04月23日

奥の細道を辿るA 越谷〜幸手

第2回目は、越谷〜幸手までの約25キロを歩く。

前回のゴールJR武蔵野線「南越谷駅」を午前8時にスタート。
旧日光街道の県道49号線を暫く北上し、途中の分岐点から左の県道325号線を進み越谷市街地に入る。旧家に越谷宿の面影を残す通りを抜けて元荒川を渡ると北越谷。
北越谷駅前を過ぎた付近で左手に元荒川の堤防が見えてくる。

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元荒川は名前の通り元は荒川の本流だったが、1629年(寛永6年)に現在の熊谷市久下で荒川を堰き止めて流れを入間川方面に変える工事が行われたことから、今は元荒川と呼ばれている。
この川の起点が熊谷市ということもあり親しみを感じる。

旧国道4号線と合流した旧街道を春日部市へ向かうと、旧街道が再び春日部市街へ分岐する三叉路に東陽寺が現れる。
東陽寺は、深川を出発した芭蕉と曽良の第一日目の宿泊地とも言われおり、境内には曽良の旅日記の一文「廿七日夜 カスカベニ泊マル 江戸ヨリ九里余」が刻まれた碑が建てられている。

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春日部市は旧粕壁宿があった地で、旧街道沿いの随所に宿場町散策コースの標識が立てられており、昔の面影を残す建物には案内板が掲げられている。

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写真は旧街道の道標で「東江戸、西南いわつき」と刻まれており、裏側を見ると天保五年の文字が読めることから、その当時に建てられたと思われる。

再び旧国道4号線と合流し国道16号線を越えると、左手に見える山門(仁王門)に目が留まる。
入口の案内板に、寺の名が小淵山観音院で芭蕉の句碑や七体の円空仏があると書かれている。
仁王門をくぐり境内に入ると芭蕉の有名な句「ものいえば 唇さむし 秋の風」が刻まれた碑がある。
本堂と境内にある「役ノ行者神変大菩薩(えのぎょうじゃじんべんだいぼさつ)」に賽銭をあげてお参りし観音院をあとにする。
※帰宅後に市のホームページ等で詳しく確認すると、円空仏は県の博物館に寄託されており、観音院で行われる円空仏祭に公開されているとのこと。また、芭蕉は粕壁宿ではこの寺に宿泊したとも伝えられている。

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暫くは旧国道4号線をひたすら歩き、分岐点から県道373号線に入り旧杉戸宿を通過する。
旧杉戸宿の外れにある宝性院前の案内地図を見ると、大落古利根川岸近くに芭蕉句碑があることが分かりここにも立ち寄る。
岩を積み上げ富士山を模した富士浅間神社に埋め込まれた自然石の句碑には「八九間 空で雨ふる 柳哉」と刻まれている。

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旧杉戸宿をあとにして更に北上し、脚も疲れたてきた頃に旧幸手宿に到着。
今回は東武日光線の「幸手駅」をゴールとする。


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2017年04月18日

色とりどり

数日前のローカルニュースか天気予報だったと思うが、深谷グリーンパークのチューリップが紹介されていたことを思い出し、買い物に出掛けたついでに立ち寄り観賞。

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2017年04月17日

赤城南面千本桜

以前から話に聞いていた赤城南面千本桜をカミさんと初めて見に行く。
日本さくらの会「さくら名所100選の地」に選ばれているとのことで、ここ数日が満開の様相。
桜並木のトンネルを歩き、広場から眺める桜と菜の花と芝桜のコラボレーションを堪能する。

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2017年04月10日

真田丸P 松代城跡

大河ドラマの進行に合わせて昨年から真田丸ゆかりの地を巡ってきたが、未だ行っていなかった松代城跡を長野旅行の途中で訪れる。

大阪夏の陣で真田信繁(幸村)が討死した後、上田城より移封された兄真田信之が藩主として入城し、以降は明治維新まで真田氏が松代藩を治めている。
大河ドラマの最終回では、番組の最後に「幕末まで続いた松代藩が徳川幕府を倒すきっかけをつくった佐久間象山を生み出すことになる」といった因縁めいたナレーションが入り番組が終了した。

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城跡に隣接する駐車場に車を停めて本丸跡に入り、北不明門をくぐり石垣の外に出て城跡を散策する。
天守閣は無いものの、当時から残る一部の石垣に櫓門や堀、木橋、石垣等が復元整備されており、案内板の解説を読みながら城郭をイメージする。

城跡に続いて、真田家ゆかりの武具や古文書等が展示されている「真田宝物館」と9代藩主・真田幸教により建てられた「真田邸」を訪れる。
「真田邸」ではボランティアガイドの方に案内をお願いして、丁寧な説明を受けながら様々な工夫が凝らされた各部屋や綺麗に手入れされた庭園をじっくりと見学する。

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これで一年余りかけた真田氏ゆかりの地巡りにピリオドを打つことが出来た。
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2017年04月03日

奥の細道を辿る @ 深川〜越谷

「月日は百台の過客にして、行きかふ年も・・・・」で始まる松尾芭蕉の奥の細道、中学か高校の授業で暗記をさせられたおかげで「・・・・春たてる霞の空に、白河の関超えんと」までは、今でもそらんじて言える。

以前より松尾芭蕉が歩いた奥の細道を辿ってみたいとおぼろげながら考えていたが、44年間の会社務めを終え時間に余裕が出来たことから、全行程(約2,400キロメートル)は無理でも先ずは年内に白河(福島県)までの約330キロメートルを目標に辿ることにした。

第一歩となる昨日は、深川〜越谷までの約25キロを歩く。

なるべく行程に余裕をもたせる為に、早朝に自宅を出て地下鉄の門前仲町駅に午前8時に到着。駅から深川にある「採茶庵」跡を目指す。
「採茶庵」は芭蕉が奥の細道の旅の出発点にした場所で、旅姿の芭蕉像が濡れ縁に腰を掛けている。
自分の一歩もここから始まると思うと身が引き締まる。

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採茶庵の周辺には、「芭蕉記念館」「芭蕉庵史跡展望台」と言った芭蕉ゆかりの場所がある。
開館(園)時間前なので入ることは出来ないが、以前に隅田川をマラニックで遡上した時に立ち寄り見学しているので今回はパスで良しとする。
第一次「芭蕉庵」があった跡地の稲荷神社に参拝し、隅田川河畔に出る。

芭蕉は深川から船に乗り隅田川を千住まで溯ったが、この時間は水上バスも運航していないことから川沿いに遊歩道を言問橋まで歩き、旧日光街道に出て千住大橋を目指す。

千住大橋を渡るといよいよ芭蕉が歩いた足跡を辿ることになる。
最初に通過するのが旧日光街道の千住宿、旧街道沿いに様々な店が軒を連ねる商店街が宿場町の賑わいを残している。
テレビのぶらり散歩旅にでも登場しそうな雰囲気の商店街を通り抜ける途中、朝が早く小腹も空いたことから、だんご屋さんで磯部団子を一串買って店先で立ち食いさせて頂く。

千住新橋を渡り足立区を北上し埼玉県に入り、谷塚を通過すると旧日光街道の2番目の宿場町「草加」に入る。
芭蕉はここでも足跡を残し、奥の細道に「その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり」と記している(実際に芭蕉が初日の宿にしたのは、その先の粕壁(春日部)と言われているが)。

草加には旧日光街道沿いに松並木を再現した草加松原遊歩道が整備されており、1.5キロメートルに亘る遊歩道沿いに松尾芭蕉像や奥の細道にちなんだ記念碑等が建てられている。

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草加から越谷方面を目指し、旧日光街道沿いに唯一残っている一里塚「蒲生の一里塚」を見ながら歩を進め、JR武蔵野線の南越谷駅にたどり着く。
交通の便を考えてこの日は南越谷駅をゴールとする。

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2017年03月26日

ビールも飲むだけなく

自他共に認めるビール党の自分だが、楽しく飲むのがモットーなのでビールに関するうんちくは殆んど語れない。
昨日も恵比寿にある「エビスビール記念館」を訪れるが、もちろん試飲を楽しみにしての見学。

受付でツアー料金(一人500円)を支払い、ブランドコミュニケーターの案内で館内のエビスビールの歴史にまつわる展示物や映像の説明を聞きながら20分程かけて見学。
ブランドコミュニケーターの説明も解りやすく、エビスビールの誕生からの歴史=日本のビールの歴史を興味深く知ることが出来た。

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見学を終えてお待ちかねの試飲。
ビールをよりおいしく飲むためのノウハウを聞きながら、一緒に見学した他のグループの方々と参加型の試飲の場を楽しむ。

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少しだがビールに関するうんちくを貯めて、その後は家族と入った恵比寿ガーデンプレイス内のビヤホールでジョッキを傾け、更にお腹にビールも貯める。

発泡酒に慣れた口に、本格的なビールの味は格別と言うことを思い出させてしまった一日だった。
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2017年03月20日

第27回熊谷さくらマラソン大会

ここ数年、好天に恵まれている熊谷さくらマラソン大会、今年も絶好のラン日和になる。

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ハーフマラソンの部にエントリーし、完走に向けて順調に走り込みも出来ていたのだが、好事魔多し、2週間前のジョギング中に左足の付け根辺りが急に痛みだす。
先週末のジョグで様子を見ながら走ってみるが、やはり10Kmほどで同じところに痛みが。
足に爆弾を抱えたままでのハーフ完走は無理と思い、今回はコース途中の10Km地点で途中棄権と決めてスタートする。

走り始めて暫くは左足付け根に違和感がある様な気もするが、熊谷の市街地に入った辺りから気にならなくなり、ペースも徐々にあがってくる。
コースは、市街地を周回して10Km付近で一旦会場近くを通過した後に籠原方面に向かう。
このままゴールまで走れそうな気もしてくるが、これより先の地点で痛み出すと戻ってくるのが大変なので、10Kmで足を止めゼッケンを外して会場に戻る。

会場で、5年前から一緒に大会に出場している娘夫婦のゴールを待って、応援に来ていたカミさん、娘、孫達と、満開の彼岸桜の下で食べ物を広げプチ花見を楽しむ。

大会前のアクシデントの為に完走こそ出来なかったが、今年も地元開催の大会を満喫する。
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2017年02月11日

30年ぶりの森林公園完走マラソン

第42回森林公園マラソン大会に参加する。
前回参加したのが第12回大会、32歳の時なので30年ぶりになる。
前回のゼッケンが残っており比較すると、白い布地からカラフルなポリエステル製に様変わりし隔世の感がある。

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8時前に大会会場の森林公園に到着し、公園南口近くにある民家の割安な駐車場に車を停め、しばらく日向で暖をとりながら待機する。
車の中で、終盤まで読み進んでいた小説「櫛挽道守」を最後まで読み終える。江戸末期の中仙道の藪原宿を舞台に、父の技に魅せらて櫛挽職人なる道を歩む女性の半生を綴った物語だが、深く読み応えのある作品だった。

公園南口から会場までは1キロほど歩くが、会場へ向かう園内の道を途中で外れてまだ人影のない梅林を散策する。
咲き揃うにまでには今一歩といったところだが、梅の花と福寿草に早春の息吹を感じる。

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会場は、絶好のランニング日和に選手のカラフルなウェアが青空に映える。

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ゼッケンを着け手荷物を預かり準備が整うと、エントリーしていた10キロの部が招集されスタート。
コース全般を通してアップダウンが続き、中でもスタート直後に迎える登り坂の勾配が一番きつく、最初の1キロのラップは7分台。
途中で折り返しが3箇所あり、1キロ地点を通過後は行き交う選手の表情を眺めながら5分台のラップを徐々にあげていき、8キロ以降は4分台で林間コースを走り切り53分17秒でゴール。
走る前は1時間前後のゴールを予想していただけに、後半ペースアップしながらまずまずのタイムで走れたことになる。

会場を後にして公園出口へ向かう途中で、ハーフの部に出場しているヨッシーの父さんに声援を送る。このアップダンの多いコースを2周走るハーフの部に出場している選手の皆さんが颯爽として力強く見えてしまう。

今回のタイムを足掛かりに、今年は10キロ/50分以内を目標にするかな。
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2017年01月21日

季節風を追い風にして走る

穏やかな年末年始だったが、1月中旬から記録的な寒波が到来し各地に大雪をもたらしている。
関東地方でも冷え込んだ日が続いているが、今のところ平野部では積雪に見舞われることなく済んでいる。

今日は朝から冷たい季節風が吹いていたので、赤城おろしをまともに受けながらのスポーツ文化公園でのランを避けて、高崎線で本庄駅へ移動。
季節風を追い風に17号線・旧中仙道を自宅まで走ることにする。

休日の電車内は平日とは違って長閑な雰囲気が漂い、リラックスした気持ちにさせてくれる。
本庄駅前のベンチで上着のジャージをザックに詰めランニングウェア姿になり走り出す。

陽射しを正面に受けながらの追い風ランなので、暫くすると額に汗がにじんでくる。
何度も走っているコースだが、深谷市内の旧中仙道は趣のある店や酒蔵が建ち並び飽きることがない。
途中寄り道をしながらも2時間足らずで自宅に到着。

まだ1月、季節風の強い週末がこれからもありそうなので、このコースに何度かお世話になりそうだ。

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2017年01月03日

新しい年を迎え、今年のランは

昨年末からの穏やかな空がそのまま続き新年を迎える。
子供達が連れてくる孫も三人になり、孫守りの合間を縫って抜け出して一走りの正月三箇日を過ごす。

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昨年一年かけて体重を68Kgからベストの60Kg台に戻したことから、今年は久しぶりに年間を通してのマラソン大会参加を目指して、先ずは3月の熊谷さくらマラソン(ハーフの部)の申込みを本日中に済ませる。

あとは一年間テーマを持って色々な場所を巡るランに出掛たいのだが・・・・。
何か良いプランがないか新年から思案しているところ。
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2016年12月30日

真田丸 真田家ゆかりの地巡りを振り返って

今年の大河ドラマ「真田丸」もついに最終回が終わり、今日放送された総集編であらためて物語りを振り返る。
この一年は真田丸に嵌り、ドラマの進行に合わせて数々の真田家ゆかりの史跡等を訪れる。

3月6日:神流川古戦場(埼玉県)
4月9日:潜龍院跡、岩櫃城跡(群馬県)
4月30日:箕輪城跡(群馬県)
5月28日:真田氏館跡、真田氏本城跡、砥石城跡、米山城跡、上田城跡(長野県)
6月4日:江戸東京博物館「真田丸展」(東京都)
6月12日:名胡桃城跡、沼田城跡(群馬県)
6月25日:宇都宮城(栃木県)
7月2日:鉢形城跡(埼玉県)
7月17日:忍城跡(埼玉県)
9月3日:薬師堂(犬伏)、小山評定跡(栃木県)
10月29日:勝願寺(埼玉県)
11月10日:九度山(和歌山県)、真田丸跡(大阪)
11月11日:大阪城、天王寺(大阪)
11月12日:二条城(京都)              

ドラマのオープニング映像に登場する奇岩に覆われた岩櫃山に興味をそそられ、暖かくなったら出掛けてみようと思ったのが「真田家ゆかりの地巡り」の始まりだった。
その後、どの史跡もなるべくウォーキングとジョギングを組み入れて訪れたこともあり、アプローチの景色と一緒に記憶が蘇ってくる。
ドラマとゆかりの地巡りのコラボレーションを楽しんだ一年間だった。

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来年の大河ドラマ「井伊直虎」、既に小説を読み物語のあらすじは分かっているが、どの様なドラマになるか今から楽しみにしている。
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2016年12月14日

真田丸O 天王寺

大河ドラマ「真田丸」もいよいよ次回の放送が最終回。
大阪夏の陣、天王寺口の戦いにおいて真田幸村が最期を遂げることになる。

実は大阪を訪れた時に、通天閣へ向かう為に天王寺駅で降りて天王寺公園内を通り抜けたのだが、不覚にも、公園内に真田幸村が本陣を置いた茶臼山と近辺に幸村終焉の地があることを全く知らずに歩いていた。
(茶臼山は、大阪冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を置いている)

大阪方面へ出掛ける前の下調べ不足と言うか、とにかく「九度山」と「真田丸」に行ってみたいと言う気持が強く、幸村終焉の地まで調べるに至らなかった。
ドラマが進み、夏の陣に関する情報を調べているうちに、天王寺口の戦いのことを知る。
もし事前に調べていれば、公園内にあるゆかりの史跡をじっくりと散策したのだが。

しかし、偶然とは言え、自分で設定した観光ルートの途中で幸村激戦と終焉の地の景色を目に入れることが出来たのは、一年間かけて数々の真田家ゆかりの地を巡ってきた自分に、ちょっとした運が導いてくれたのかも知れない。

写真は、天王寺公園と通天閣
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2016年11月23日

真田丸N 二条城(京都)

大阪を観光した翌日京都に立ち寄り二条城を訪れる。

二条城は関ケ原の戦いのあと江戸幕府を開いた徳川家康と豊臣秀吉の子秀頼との会見が行われた場所。
この会見で秀頼の成長ぶりに危機感を持った家康が豊臣家を滅ぼすことを決意し、大阪の陣のきっかけになったとも言われている。

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二の丸御殿の中に入り、うぐいす張りの廊下を歩きながら会見の場となった「遠侍の間」や、徳川慶喜が大政奉還を行った「大広間」等を間近で見る。

江戸幕府の始まりとともに築かれた二条城が、幕府の終わりを宣言する舞台にもなったことになる。
当時のまま残る御殿内を、その様な思いであらためて眺めてみると感慨深いものがある。
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2016年11月13日

真田丸M 九度山(和歌山)〜真田丸跡(大阪)

関ケ原の戦いで石田三成ひきいる西軍が敗れ、真田昌幸、信繁(幸村)親子が幽閉された「九度山」と、大阪冬の陣で真田幸村が築いた「真田丸跡」を訪れる。

早朝に自宅を出て大阪へ向かい、難波駅から南海電鉄高野山線に乗り九度山駅に着く。
紀ノ川と丹生川に挟まれた九度山町の背後には山なみが連なり、真田親子が幽閉されていた頃は山あいに田畑と集落が点在する村だったと想像出来る。

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駅を降りて六文銭の幟が並ぶ商店街を歩き道標に従い細い坂道を下ると、真田親子が蟄居していた屋敷跡に建つ寺院「善名称院」に着く。
山門にはそれを示す様に「真田庵」の文字が刻まれており、山門をくぐった境内は本堂以外にも堂や真田昌幸の墓があり、真田ゆかりの品々を展示した「真田宝物資料館」も建っている。

当時の痕跡は残っていないものの、真田親子と一族が十数年に亘り住んでいた地を訪れることが出来たことに満足。

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九度山から大阪市内に戻りいよいよ真田丸跡を訪ねる。

真田丸は大阪冬の陣の後に徳川軍により壊され埋められてしまった為に、出城の場所は諸説あるとのことだが、JR玉造駅の西側にあったのは間違いないらしい。
事前に準備した真田丸推定地と現在の地図をオーバラップした案内図をたよりに歩く。

地下鉄の玉造駅で降り、最初に目指したのが三光神社。
三光神社は従来から真田丸跡として知られており、境内には真田幸村像と「真田の抜け穴跡」がある。
抜け穴跡の入り口は鉄柵で塞がれているが、真田幸村が大阪の陣の際に大阪城まで抜ける地下道を掘ったと跡と伝えられている。

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三光神社から更に西へ進み、大阪明星学園グラウンド前に建つ「真田丸顕彰碑」を訪れる。
最近の説では、真田丸は大阪明星学園の場所にあったとする説が有力らしく、顕彰碑も今年建てられた真新しいもの。
生徒の作品か、校舎の壁には真田幸村と思われる武将が描かれている。
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右の写真は明星学園を坂の下から撮ったものだが、坂道を隔てた左側の「心眼寺」には真田幸村の墓がある。

三光神社と明星学園は数百メートルしか離れておらず、真田丸の攻防戦がこの辺りであったことは間違いない。案内図を見ながら真田丸の堀があった推定地を辿って付近一帯を歩いてみるが道に迷い、最終的にはスマホのお世話になり駅まで戻る。


真田丸にはあまり興味が無く遅れてやって来たカミさんと娘にホテルで合流し、翌日は大阪観光を兼ねて大阪城等を訪れる。

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偶然にも昨夜の「ブラタモリ」で大阪城と真田丸が特集されていたが、番組の中で、現在の天守閣の基礎は、豊臣秀吉が建てた大阪城の石垣を埋めつくし盛土し、その上に石垣が築かれたと紹介されていた。
二代将軍徳川秀忠の命により、豊臣家の痕跡は全て無くしたらしい。

ところが、天守閣の各フロアに展示されているのは、豊臣秀吉ゆかりの品々や秀吉の生涯を紹介するコーナー等でほとんど占められており、現代になり豊臣家が再び大阪城に返り咲いた様でおもしろい。
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2016年11月03日

今年も東日本実業団対抗駅伝を観戦

今年も東日本実業団対抗駅伝を自宅付近で観戦。
青空が広がる秋晴れの穏やかな日になり、駅伝を観戦するには絶好の日和。
自宅付近を走るコースが折り返し地点の第5中継所までの往路と復路になっている為に、第5区と第6区の選手の走りを観戦することが出来る。

毎度のことながら、選手の通過を今や遅しと待ち構える気分は期待に満ちてワクワクする。
ようやくTV中継車が見え始め、白バイに先導されたトップの選手が目の前を颯爽と走り過ぎてゆく。
間をおきながらも次々に通過していく選手に声援を送り今年も駅伝観戦を堪能する。

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夕方、駅伝コースとなった17号線に沿って選手目線になったつもりで12キロほど走る。
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2016年10月30日

真田丸L 勝願寺

昨日は高崎線鴻巣駅近くの「勝願寺」を目指して、自宅から17号線、旧中仙道沿いに約22Kmを走る。

勝願寺には真田信之の正妻「小松姫」と信之の三男「真田信重」の墓がある。
今年になって高碕線鴻巣駅のホームに六文銭の幟が何本も立てられているのが目に留まり、鴻巣市で真田家にゆかりのある史跡を調べて知ったのだが。

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「小松姫」は本田忠勝の娘で、徳川家康の養女となり真田信幸(後に、信之)に嫁いでおり、大河ドラマでは吉田羊が小松姫を演じている。
犬伏で親子三人が敵味方に分かれた後に、真田昌幸と信繁親子が沼田城に立ち寄ろうとした際に、既に夫・信之の敵となった昌幸・信繁を一歩たりと入城させなかった小松姫の有名な逸話は、大河ドラマの場面でも取り上げられた。
その小松姫も、大阪夏の陣が終わって5年後の1620年、病の療養のため江戸藩邸から草津に向かう途中、鴻巣で亡くなり、ここ勝願寺にも墓が設けられたとのこと。

またここには、豊臣秀吉の家臣で後に徳川家康に仕え小諸藩主となった仙石秀久の墓も、小松姫、真田信重と共に建っており、並ぶ三人の墓に手を合わせてくる。

この8ヶ月間で関東地方と長野県(松代城を除き)の「真田丸ゆかりの地」はほぼ訪れたことになり、いよいよ11月中旬には九度山(和歌山県)と真田丸(大阪城)を巡る予定で準備を進めている。
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2016年09月04日

真田丸K 犬伏と小山評定跡

今夜放送予定の大河ドラマ「真田丸」第35話は「犬伏」。
新聞の番組欄で「真田家の物語で最も有名な逸話犬伏の別れ」と紹介されている様に、真田家が決別するクライマックスの場面を迎える。

昨日は、放送より一足先に、犬伏の別れの舞台となる佐野市の「新町薬師堂」と小山評定の会議が開かれた「小山評定跡」を訪れる。
今回はマラニックを兼ねて、「東武佐野駅 〜 犬伏(新町薬師堂) 〜 小山評定跡 〜 JR小山駅」間の約24キロを走る。

佐野駅から小山方面に3キロほど走ると、関ケ原の戦いを前にして真田父子が決別の密談をおこなった犬伏の「新町薬師堂」に着く。
それほど広くない敷地にひっそりと建つ薬師堂が、逆に密談に相応しい場所にも思える。
薬師堂の中は仏間と連なる十畳ほどの広さで、見学者向きにと思われるが、三人の密談を再現するかの様に真田昌幸・信幸・信繁を模した鎧が三体並んでいる。
たまたま清掃にみえていた地域の方は、テレビで取り上げられていることを喜ばれている様で、「明日は、上田市から薬師堂に太鼓がやってきて叩かれる」と言った話も伺う。

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新町薬師堂を後にして小山市にある小山評定跡を目指してひたすら走るが、朝の天気予報の「曇りのち雨」が嘘の様に晴れ上がり、ジリジリと照りつける日差しが疲れに拍車をかける。
コース沿いのコンビニに何度も立ち寄り、その都度しばらく冷房で身体を冷やして給水用の飲料水を買い、小山までに5本のペットボトルを消費する。
走っている途中で出会ったおばあさんの「大変ですねー。がんばってください」の声を励みに、ようやく小山市にたどり着く。

評定跡は小山市役所の敷地内にある。
当時の痕跡は何も残っておらず、「史跡 小山評定跡」の碑と「小山評定の由来」を記した石碑が建てられているだけだが、関ケ原の戦いで徳川家康を勝利に導く軍議が行われた歴史的に重要な場所である。
石碑前に植えられた芝生の木陰に座り、家康をはじめとして軍議に参加した諸将の様子を思い描きながら疲れを癒す。

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評定跡から小山駅までは駅前の繁華街をゆっくり歩き、小山駅から電車で帰途につく。
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2016年08月21日

まる高赤城夏合宿

赤城山の大沼湖畔で行われたまる高夏合宿に昨日から1泊2日で参加。

昨日はトリプル台風(9、10、11号)の影響を受けて生憎の天気。
参加の皆さんと大沼周回コースを走り始めた頃は雨も降ったり止んだりで走るにはまずまずのコンディションだったが、3周目の途中から本降りの雨に変わり雨足も徐々に強くなる。
しかし、ここまでずぶ濡れになれば走っても止めても同じとばかりに、強雨の中を5周(約25キロ)頑張って走り上がる。

夜は皆さんとバーベキュー・カラオケで盛り上がり、部屋へ戻り再び飲んだあと雨音を聞きながら眠りにつく。

今朝は昨日の雨とはうって変わり、青空が広がる好天。
朝早くから湖畔を走るランナーの姿も見られ、我々も8時過ぎから走り始める。
自分は昨夜の飲み疲れもあり、1周目は覚満渕に立ち寄り写真を撮りながらノンビリと歩き、2周目から走り汗を流す。

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青木旅館で昼食に恒例のカレーを食べて解散するが、準備からお世話になった幹事さんと参加の皆さんのおかげで、今年も楽しい夏合宿となった。
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