2018年12月06日

関口芭蕉庵跡〜深川芭蕉庵跡を歩く

先週の土曜日、小春日和の陽気を利用して「関口芭蕉庵跡(文京区)」から「深川芭蕉庵跡(江東区)」までを神田川・隅田川に沿って歩く。

都電荒川線を「早稲田駅」で降り数分で神田川に出る。
豊橋を渡り右折、川沿いの遊歩道を暫く進むと「肥後細川庭園」の正門が現れる。
ここは熊本藩大名細川家の下屋敷跡で、正門から入ると山裾に造られた見事な庭園が広がる。池の水面に映る雪吊りと紅葉した木々を眺めながら園内を一周する。

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肥後細川庭園から細い道を隔てて隣にあるのが関口芭蕉庵跡。
松尾芭蕉はこの地に4年間住み神田上水の改修工事に携わり、その後に深川芭蕉庵へ引越している。
俳人の芭蕉が工事に関わっていたのは以外だが、芭蕉は伊賀上野の藤堂藩に仕えており、藤堂藩が幕府から神田上水改修工事の命を受けたことから、事務担当として工事に携わっていたとのこと。

庵の通用門を潜ると昭和になって再建された芭蕉庵の建物が目に入る。
建物の前は小さな池を囲む様に庭木が植えられた庭園になっており、散策道を歩きながら幾つかの句碑を巡ることが出来る。

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関口芭蕉庵跡を出て神田川沿いの道を下流方面に向かう。
江戸川橋交差点までは遊歩道が整備されており、江戸川公園の紅葉を左に眺めながら歩く。
ジョギングや散歩を楽しんでいる人も多い。

江戸川橋交差点から様相が変わり、飯田橋まで首都高速5号線高架下の通りを歩く。
飯田橋交差点の下で神田川は右に外堀への流れを分けて直角に左へ曲がり、秋葉原辺りまではJR総武線に沿って流れる。

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秋葉原駅付近の雑踏を抜けて比較的静かな街中を暫く行くと、川の両岸に係留されている屋形船が現れ始め、隅田川が近いことが分かる。

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隅田川に架かる両国橋を渡り、対岸の隅田川テラスを1キロ余り下流に向かって歩き目的地の深川芭蕉庵跡に到着。
ここは今までにもマラニック等の途中で何度か立ち寄ったことがあるが、奥の細道を歩き始めてから訪れた今回は少し感慨深い。

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深川芭蕉庵から少し離れた場所にある「江東区芭蕉記念館」を見学する。
特別展「芭蕉の旅、俳人の旅」の開催期間中で、「奥の細道」以前に芭蕉が旅をした「野ざらし紀行」、「鹿島紀行」、「更科紀行」に関わる資料も展示されており興味深く見る。

記念館を出て、奥の細道の出発点となった「採茶庵跡」を経由して地下鉄「門前仲町駅」まで歩き帰途につく。

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2018年11月13日

広島城

広島・宮島・呉方面へ観光に出掛けた機会に広島市内にある広島城を訪れる。

広島城の歴史を見ると、毛利輝元が築城を手掛け天正19年(1591年)に入城を果たしている。
その後、関ケ原の合戦後の慶長5年(1600年)に、毛利輝元に代わって福島正則が城主となり、外堀や外郭の整備を進め約1キロメートル四方の広大な広島城を完成させ歴史を刻んできた。

しかし、昭和20年の原子爆弾投下により城内の建物は倒壊や焼失してしまった為、天守閣・櫓・城門などが戦後に復元され、城址は国の史跡に指定されている。

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内堀に架かる御門橋を渡り表御門から城内に入るも天守閣らしき建物が見えないことから戸惑うが、二の丸から本丸下段の方へ歩いて行くと左手前方に堂々と建つ天守閣が見えて来る。

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築城当時の外観を模した天守閣の内部に入ると歴史博物館になっており、展示されている広島城の歴史に関わる様々な資料等を興味深く見る。
最上階の望楼からは広島市内の街並みを眺めることが出来、少し離れた場所にこれから訪れる予定の原爆ドームの屋根も見える。

城内では菊花大会が開催されており、秋を彩る菊の花に覆われた広島城の模型の姿を見ながら城を後にする。

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2018年11月07日

足利氏館跡(鑁阿寺)と足利学校

みどり市大間々で開催されている「関東菊花大会」を鑑賞し高津戸峡を歩いた帰りに足利市に寄り、「鑁阿(ばんな)寺」と「足利学校」の史跡を訪れる。


【鑁阿寺】
鑁阿寺は元々は足利氏の館で、日本百名城の一つに数えられている。
12世紀の半ばに足利氏の始祖である源義康がこの地に館をかまえ、鎌倉時代に足利氏2代目の足利義兼が邸宅内に持仏堂を建てたのが寺院としての始まりとされている。

山門を潜ると参道の先に建つ国宝の鑁阿寺本堂が目に入る。
本堂に参拝し境内を散策すると、本堂以外にも国の重要文化財に指定されている鐘楼(鎌倉時代に建立)などの歴史的な建造物が幾つか残っている。
多宝塔の前にある樹齢約550年の大銀杏は黄葉まであと一歩だったが、秋空に聳え立つ大木の姿は見応えがある。

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境内を一歩外に出ると、寺の周囲は城郭を思わせる土塁と堀がめぐらされており、武家屋敷としての足利氏館の面影が残っている。

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【足利学校】
鑁阿寺のすぐ近くにある足利学校は日本で最も古い学校として知られている。
創建については奈良時代、平安時代、鎌倉時代の諸説あるが、歴史が明らかになるのは室町時代に上杉憲実が書籍(現在は国宝に指定されている)を寄進し再興した頃とパンフレットに書かれている。

敷地内には寛文8年(1668年)に創建され現存する学校門と孔子廟等以外にもかつての建物と庭園が復元され、江戸時代中期の様子が再現されているとのこと。

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旧史跡図書館内で12月2日まで開催されている企画展「元号」では、日本の元号の出展元となった中国の古い書籍が頁を開いて展示されており、中には室町時代に上杉憲実が寄贈した中国の書籍(国宝)も含まれており興味深く見ることが出来た。
復元された建物の方丈の広間では、社会見学で訪れている小学生が論語の素読体験を行っており、全員で唱和する声が庭まで聞こえていた。

校内に配布用に置かれていた資料を見ると、足利学校を訪れた人々として吉田松陰、高杉晋作、東郷平八郎、大隈重信、乃木希典、新渡戸稲造を始め著名人は枚挙にいとまがない。
足利学校の名は何度も見聴きしていたが、今回訪れたことにより思っていた以上に歴史的に価値のある史跡であることを知る。
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2018年10月21日

金山城跡

太田市にある金山城跡へ行ってくる。
金山城は日本百名城のひとつに数えられていることもあり以前から気にはなっていたが、近場で遠出気分が味わえないこともあり足を運んでいなかった。

昨日はいつもジョギングに出掛けているスポーツ文化公園でイベントが開催され、駐車場の利用が制限されていたので、急に思い立って低山歩きを兼ねて金山城跡周辺を歩くことにする。

先ずは金山の麓にある「史跡金山城跡ガイダンス施設」に立ち寄り、解説パネルや戦国シアターの映像を見て、金山城の歴史について事前情報を頭に入れる。
金山城は1469年に新田一族の岩松家純によって築城され、その後由良氏が城主となり戦国期には上杉氏、武田氏などの攻撃を受けながらも落城しなかったが、謀略により小田原北条氏の支配下になる。その後豊臣秀吉の北条氏征伐の際に攻撃を受けて落城、そのあと廃城になったとのこと。

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「ガイダンス施設」からカーブが続く山道を登ったところにある駐車場に車を停め、城跡を散策する。

本丸跡のある頂上に向かう尾根上に、当時のままと思われる堀切跡や復元された石積みの虎口等の城郭の跡が続く。

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金山城で最も大きい大堀切を過ぎると通路の両側に石垣が高く積まれた「大手虎口」に着く。
石垣は復元されたものだが、本丸へ向かう敵を厳重に防御していた様子が窺える。

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「大手虎口」を抜けた台地に「日の池」や「武器庫」等が復元された南曲輪跡がある。
南曲輪跡から左手に三の丸跡を見ながら坂道と石段を登りようやく本丸跡に着く。
本丸跡には新田義貞公が祭られている新田神社が建っており、境内の下には「金山の大ケヤキ」と呼ばれる樹齢800年ほどの大木がそびえ立つ。
傍らの解説板に「金山城の興亡を見て来た歴史の証人とも言えます」と書かれているのが印象的だ。

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城跡を散策し駐車場に戻るが、まだ歩き足りない気持ちもありハイキングコースに沿って山を下り、麓にある大光院に参拝し(大光院は、徳川家康が先祖の新田義重を祀るために創建した寺で呑龍さまとも呼ばれている)、再び山を登り駐車場に戻る。

久しぶりの好天、城跡散策を含めた2時間ほどの低山歩きを楽しむ。
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2018年10月07日

奥の細道を辿るN 那須湯本〜黒田原

那須湯本温泉から東北本線「黒田原駅」までの約15キロを歩く。
この区間は奥の細道の中に記載が無く、曾良の随行日記にも「下尅、湯本ヲ立。ウルシ塚マデ三里余。半途二小や村有。・・・湯本ヨリ全テ山道ニテ・・・」と記されているのみで芭蕉一行の足跡を残す史跡等も無い様なので、今回は何処かに立ち寄ることもなく黙々と歩く。

JR「那須塩原駅」周辺の駐車場に車を停め、那須ロープウェイ行きバスに40分程乗り前回ゴール地点の那須湯本温泉に移動。
小雨が降る生憎の天候に車内で雨具を取り出して準備をしていたが、バスが「那須湯本温泉」に到着し降車すると同時に陽が射し始めて一気に青空が広がる。

前回は下調べ不足で何気なく通り過ぎてしまった共同湯「鹿の湯」の外観をあらためて写真に収めてスタート。
那須温泉「鹿の湯」は1,300年の歴史を持ち、共同湯は明治時代の建物の姿を受け継いでいるとのこと。

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前回と同じ道を下り一軒茶屋前まで戻る途中で可愛い子リスを見かける。
こちらを何度も伺いながら木に登っていく姿を仰ぎ見ていると、子リスが隣の木の枝へ飛び移った途端に枝葉に溜まっていた雨水を顔に浴びてしまう。
まさか、ここで雨に濡れるとは。

一軒茶屋前で前回歩いた道を外れて、左斜め方向に分岐する県道21号線を進む。
暫くは定規で直線を引いた様に真っ直ぐに伸びる林の中の道を下る。

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道の勾配が緩やかになり両側に林と田んぼが交互に続く道を1時間半ほど歩き続け、国道4号線と交わる交差点に着く。
この右手の信号が地図では「漆塚」となっていることから、その辺りが曾良随行日記に記されている「ウルシ塚」だと思われる。

国道4号線を渡り更に30分ほど歩き本日のゴール「黒田原駅」に到着。
趣のある駅舎だなと思い壁に掲げられている解説板を読むと、現在の建物は昭和15年に改築された洋館風の木造モルタル駅舎と書かれている。
駅舎内外の壁には10月6日、7日に開催される「黒田駅前ナスタルジック映画祭」の昭和色豊かなポスターが貼られており、レトロ感を更に高めている。

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1時間に1本程度の黒磯行き電車を30分ほど待ち、「黒磯駅」で宇都宮線に乗り換えて駐車場に車を停めている「那須塩原駅」まで戻ってくる。


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2018年08月05日

奥の細道を辿るM 黒磯〜殺生石(那須湯本)

連日の猛暑に気後れし躊躇していたが、今回はゴールが那須高原の那須湯本温泉(標高約800m)なので下界ほど暑くないだろうと予測し、JR宇都宮線「黒磯駅」〜高久〜殺傷石〜那須湯本温泉の約18キロを歩く。

朝4時過ぎに家を出てJR「那須塩原駅」周辺の駐車場に車を停め、JR宇都宮線を利用して前回ゴール地点の「黒磯駅」に移動。
7時前に「黒磯駅」をスタート。

黒磯駅から高久までは2キロ余り。
黒羽を発ち殺生石を目指した芭蕉と曾良は途中の高久で名主・高久覚左衛門宅に二泊している。
高福寺に芭蕉の句碑があるとのことなので訪れ、本堂に参拝した後で境内の句碑を探すが見つけることが出来ず。
早朝から失礼かと思いながらも庫裡の方に声掛けするとご住職が出てこられて、丁寧にも句碑がある場所まで案内して頂き話を聞かれる。自分が奥の細道を歩いて辿っていることをお話すると、芭蕉が泊まった場所への道順も教えて頂くことが出来た。
境内の句碑には芭蕉の「落ちくるや高久の宿の郭松」と曾良の「木の間を覘く短夜の雨」の句が刻まれている。

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高福寺を出てご住職に教えて頂いた辺りに見当をつけて県道を歩いていると道端に「芭蕉二泊の地」の碑が建てられているのを見つける。
また少し先には「芭蕉翁塚」の碑がある。傍らの解説板にこの塚は芭蕉の来歴を記念して芭蕉の没後61年を経た宝暦4年に高久覚左衛門の孫が建てたと書かれている。
また解説板には「高久家に、元治元年(1864年)11月には、水戸天狗党が西上を目指して宿泊した」とも書かれている。(※後述)

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「芭蕉翁塚」の少し先で左に分岐する細い道に入り暫く歩き県道那須高原線に出る。
ここからは、那須湯本温泉を目指し緩やかな上り道をひたすら歩く。
幸い道の両側は大部分が木々に覆われて木陰になっており、時々顔を覗かせる那須岳を望みながらさほど暑さを感じることなく高度を稼ぐ。
ただ観光地に続く道路なので交通量が多いにも拘らず側道が無い区間があり、前方から来る車に絶えず注意をしながらの徒歩になる。

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湯本温泉街に入り勾配がきつくなった坂道を暫く歩くと温泉神社の鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐり石段を上り本殿に参拝する。
温泉神社は芭蕉も参拝しており、曾良の随行日記には「午ノ上尅、湯泉へ参拝」と記されている。
本殿の手前には芭蕉の句碑があり「湯を結ぶ 誓いも同じ 石清水」の句が刻まれている。

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神社の横手にある道標にしたがい遊歩道を少し下ると「殺生石」に到着。
芭蕉は奥の細道に「殺生石は温泉の出づる山陰にあり、石の毒気いまだ滅びず、・・・」と書いており、石の毒気とは今も辺りに漂っている硫黄の匂いのことだろう。

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湯本温泉で芭蕉が泊まった宿跡を探して川沿いの温泉街の道を下るが見当たらず。
下り過ぎたかと思い道で出会った地元の方に訪ねるも「分からない」とのこと。ただその方がわざわざ近所の旅館の方に聞いて頂いたおかげで、目立たないが○○旅館の傍に小さな記念碑があることが分かる。
道を少し戻り○○旅館の近辺を探してみるも見つけることが出来ず、○○旅館の玄関から声掛けし宿のご主人にお訪ねし具体的な場所を教えて頂く。
その時旅館の前に車が停まり、最初に道を訪ねた方が降りてこられ「私の説明があいまいで分からなかったかも知れないと思い、あらためて聞いて来ましたので案内します」と言って頂く。
そのおかげで無事に「松尾芭蕉宿泊地」を訪れることが出来た。

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少しオーバーかも知れないが、道端の目に留まらない様な小さな碑でも、芭蕉の足跡を巡っていると一期一会の貴重な出会いになる。
今回は、最初から地元の方の親切に助けられて芭蕉の足跡を巡ることが出来たことに感謝しながら帰途につく。


(※)水戸天狗党について
以前に水戸天狗党の顛末を描いた小説「義烈千秋 天狗党西へ」(伊東潤:著)を読み興味を持った史実。
水戸天狗党は幕末に筑波山で挙兵した水戸藩士の攘夷派の一団で、朝廷に尊王攘夷の意志を伝えることを目的に京都を目指す。下野・上野・信濃・美濃を経て進軍(途中、高崎藩と交戦)するも京都に入ることが出来ず加賀藩へ向かうが、望みかなわず敦賀で幕府に投降する。
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2018年07月15日

奥の細道を辿るL 黒羽〜黒磯

今回は「黒羽」からJR宇都宮線「黒磯駅」までの約16キロを歩く。

朝4時半に家を出て先ずは東北自動車道経由でJR「那須塩原駅」を目指す。
駅周辺の駐車場に車を停め、路線バスを利用してスタート地点の黒羽へ向かう。

黒羽神社下でバスを降り歩き出す。
暫くして渡る那珂川に架かる橋の上から、川の流れの中で鮎釣りを楽しむ大勢の釣り人の姿が目に入る。
橋の上下流でざっと40〜50人もの姿が見渡せることから、これほどにも人気があるのかと驚いたが、川岸に建ち並ぶ「鮎釣り選手権大会」の幟を見て納得。

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黒羽でまだ訪れていなかった常念寺に立ち寄る。
この寺には芭蕉が黒羽から殺生石(那須湯本)へ向かう途中で案内の馬子に請われて詠んだ「野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす」が刻まれた句碑が建っている。
傍の解説板に句碑は浄法寺桃雪(※)建立との説明が書かれていることから江戸時代に建てらたと思われる。
(※)黒羽藩の城代家老で芭蕉の俳句の弟子

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黒羽の街中を抜けて田園地帯の道を辿ると、右手に懐かしい雰囲気が漂う木造校舎が見えてくる。
石の校門には「蜂巣小学校」と刻まれているが、現在は閉校している様子。
ただ、校舎の一部を改装し喫茶店として営業している様で、校門の隣にCaffeの看板が掛けられている。

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旧「蜂巣小学校」の先の三叉路に建つ「おくのほそ道」の道標に従い細い道路に入る。
車が殆んど通らない(と言うか、一台の車とも出会わなかった)田んぼと森に挟まれた道を2キロほど歩く。
森の中から二羽のウグイスの競い合う様な鳴声が絶え間なく聞こえ、猛暑の中を歩いていることを暫く忘れさせてくれる。

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大田原市から那須塩原市に入り暫くして「旧鍋掛宿」を通る。
宿場町の面影は残っていないが、八坂神社の境内に芭蕉句碑があり立ち寄る。
常念寺の句碑と同じ「野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす」の句が刻まれており造られた時代も古い様だ。
社殿に参拝し、地元の方が夏祭りの準備の為に出されていた神輿と句碑を並べて写真に収める。

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鍋掛から炎天下の中、遥か前方の市街地が蜃気楼の様に見える真直線の道路を3キロ程歩き続けゴールのJR宇都宮線「黒磯駅」に到着。
宇都宮線で「黒磯駅」から「那須塩原駅」へ移動し、駐車場に停めていた車で帰路につく。
早起き、猛暑、歩き疲れが重なったせいか、途中で休憩したSAで30分ほどグッスリと眠ってしまう。
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2018年06月10日

奥の細道を辿る(番外) 黒羽の芭蕉句碑

黒羽は芭蕉が約2週間に亘り滞在したこともあり、主にこの地で詠んだ句の句碑が点在している。
その全てを訪れていないが、先週末には以下の句碑を巡ることが出来た。


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田や麦や 中にも夏の ほととぎす (黒羽城址公園)

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啄木鳥も 庵は破らず 夏木立 (雲巌寺)

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行く春や 鳥鳴き魚の 目は泪 (芭蕉の道入口)
※この句は芭蕉が江戸を旅立つ時に詠んだ句。

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山も庭も 動き入るるや 夏座敷 (浄法寺桃雪邸跡)

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鶴鳴くや 其声に芭蕉 やれぬべし (芭蕉の広場)

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かさねとは 八重撫子の 名成るべし
(芭蕉の館前の文学碑「奥の細道 那須野」に刻まれている曾良の句)
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2018年06月07日

赤城山のつつじ

梅雨の中休み(と言っても昨日梅雨入りしたばかりだが)に思いついて、女房と赤城山のつつじを見に行く。

赤城山は大沼周辺で毎年開催されるマラソン大会やランニング仲間との合宿などで数十回通っているが、いずれも8月なのでつつじが咲く季節に訪れるのは初めて。
白樺牧場に咲き誇るれんげつつじの眺望を楽しんだ後、覚満淵の遊歩道を散策し鳥居峠・小沼に立ち寄り大沼を周回。

山の緑に赤いつつじが映えるこの季節ならではの景色を堪能することが出来た。

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2018年06月03日

奥の細道を辿るK 黒羽〜「雲巌寺」往復

2週連続になるが梅雨入り直前の好天にと思い、芭蕉が黒羽滞在中に訪れた雲巌寺まで歩く。黒羽市街地から雲巌寺までは約12キロ。

8時に黒羽城址公園をスタートし市街地を暫く歩き、前田T字路で標識に従い国道461号線を雲巌寺方面へ右折する。
ここから唐松峠に向かってなだらかな上り道が続き、山あいに近付くにつれて道の両側の田んぼも階段状の棚田になってくる。

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杉林に囲まれた山ふところに入り、道の勾配が急になってきた頃に唐松峠を越える。
峠を越えると緩やかな下り坂が続き、途中で国道461号線と分かれて雲巌寺を目指す。
いよいよ雲巌寺が近くなり、周囲の山から寺社が持つ独特の静寂な気配が漂ってくる。

雲巌寺に着くと、つい最近JR東日本のCMで黒羽が紹介された際に山門前で吉永小百合がたたずむ姿が放映されたこともあってか、山門前の朱塗りの橋はCMと同じアングルで写真に納まる人が次から次へと。

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雲巌寺は禅宗の道場とされており、芭蕉は禅の師匠「仏頂和尚」が若き日に修行で山ごもりしていた堂が雲巌寺にあることを知りこの寺を訪れている。この地で詠んだ「啄木も 庵は破らず 夏木立」の句碑が境内にある。

黒羽市街地までの帰路は路線バスを利用する予定にしていた為にバスの発車時刻までの1時間半を持て余したが、その間に境内や付近をじっくり散策する。

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帰路のバスは「大雄寺入口」で下車し、芭蕉が歩いたとされている「芭蕉の道」を辿る。
途中で芭蕉が逗留した浄法寺桃雪亭跡を見て、芭蕉に関わる資料等が展示されている「芭蕉の館」に入館し見学する。

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「芭蕉の道」や「芭蕉の館」が在る一帯は黒羽城の城郭があった場所で、「芭蕉の館」の前には二の丸跡の標識が建てられている。
隣接する城址公園は広々と芝生が植えられて整備されており当時の建物は残っていないが、周囲の空堀や土塁などの遺構が明瞭な形で現存しており見応えがある。
城跡からは眼下に大田原方面を見渡すことが出来、攻守ともに優れた場所に城が築かれていたことが実感出来る。

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次回以降の行程は出発点・到着点までのアプローチが更に難しくなりそうだが、そのプランを練るのも楽しみの内なのでじっくりと検討したい。
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2018年05月27日

奥の細道を辿るJ 矢板〜黒羽

今回はJR宇都宮線「矢板駅」から那珂川沿いの「黒羽」までの約21キロを歩く。

7時半に「矢板駅」をスタートし商店街を抜けて日光北街道(国道461号)に出る。
睡蓮の花が咲く長峰公園の池を左手に見ながら暫く歩き、T字路で国道4号線に合流する。
小山市内で国道4号線から壬生街道に分岐し例幣使街道経由で日光を周ってきたので、国道4号線と久々の合流。
と言っても合流区間は100m程で、再び斜め右方向に分岐する旧日光北街道を進む。

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東北新幹線の高架下をくぐり田園風景の道を暫く行くと箒川に架かる「かさね橋」を渡る。
「かさね橋」は奥の細道に登場する「かさね」と言う少女の名にちなんで名づけられている。
那須野が原を歩く芭蕉一行が、草を刈る親切な農夫から道に迷わないようにと馬を貸りることになる。このとき、ふたりの子が馬の後ろを走りながらついてきたのだが、そのうちのひとりの女の子が「かさね」いう名だったとのこと。
その様子と曾良が詠んだ「かさねとは 八重撫子の 名なるべし」の句が刻まれたブロンズ碑が橋のたもとの石に取り付けられている。

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田植えを終えた緑の田んぼを両側に眺めながら旧日光北街道を辿ると旧街道は大田原市街地で国道461号線と合流する。
国道461号線は大田原マラソンのコースの一部(30数キロ付近)になっており、以前に大会に参加した時にこの道をヘロヘロになり走っていたことを思いだしながら歩く。
途中、「道の駅 那須与一」で昼食をとり数キロ先の黒羽を目指す。

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那珂川沿いの黒羽は観光やなが有名なことは知っていたが、街に入ると道の両側に建つ土蔵や木造の家が目に留まり、古い街並みの面影が残されているのは予想外だった。
下の写真は、国登録有形文化財になっている足利銀行黒羽支店の建物。

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芭蕉一行が2週間ほど滞在した黒羽は「雲巌寺」など行ってみたい場所も多いことから、次回にゆっくり巡る予定。
今回は黒羽をゴール地点とし、路線バスでJR宇都宮線「西那須野駅」に出て帰路につく。

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2018年04月30日

「織田信長と上野国展」へ出掛ける

群馬県立歴史博物館で開催中の「織田信長と上野国」に行ってくる。

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織田信長自身は上野国(現在の群馬県)に遠征していない筈だが(自分の認識では)、信長の重臣滝川一益が武田勝頼を滅ぼした後に上野国支配を任されている。
※しかし、その3ヵ月後に本能寺の変で信長が討死し、一益はそれを機に上野国へ北上してきた北条氏と戦い、武蔵国(現在の埼玉県)との国境で繰り広げられた「神流川の戦い」で敗れ、一益の支配は僅か3ヵ月で終わっている。

一昨年に真田丸ゆかりの地として神流川の合戦場跡を訪れたこともあり、戦国時代におけるこの様な信長と上野国の関わりは知っていたが、今回初めて知ったのは、徳川の世になって信長の次男信雄に甘楽郡2万石の知行が与えられ、信雄の四男信良(信長の孫)が甘楽郡に小幡藩を立藩しており、ここでも信長と上野国が繋がっていたこと。

博物館内には、戦国時代から徳川時代にかけての織田家と上野国の関わりを今に残す書状や合戦屏風絵・武具等が展示されており、中には国宝や国の重要文化財に指定されている品々も有り、予想していた以上に見応えがあった。
特に、武田討伐に際して一益が信長から賜ったとされている太刀には興味を惹かれた。

またこの機会に、開催中の企画展示とは別に、群馬県の歴史について原始から現代まで時代毎に紹介されている常設展示室も見学する。
たまたま数週間前に鎌倉時代末期の足利尊氏の家臣を主人公にした歴史小説を読んでおり、その中に登場する新田義貞にも興味を持っていたので、中世の展示コーナーで上映されている新田義貞の鎌倉幕府倒幕とその後の生涯を紹介するビデオを見ることが出来たのはタイムリーだった。

今日訪れた埼玉県立歴史博物館は「ぐんまの森公園」内に在る。
ぐんまの森と言えば、十数年前までは初夏に開催される「ぐんまの森さわやかマラソン」に毎年の様に参加していた(現在も開催されているか不明だが)。
当時は公園内の一施設としてしか目に映っていなかった博物館だが、あらためてじっくり見学し上野国の歴史を堪能する事が出来た。

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2018年04月22日

奥の細道を辿るI 大桑〜矢板

昨年11月ランニング中に痛めた右足膝の状態が良くなり「奥の細道を辿る」を再開。
今回は東武鬼怒川線「大桑駅」からJR宇都宮線「矢板駅」までの25キロを歩く。

9時に「大桑駅」をスタートし会津西街道に一旦出る。
街道を百メートルほど歩き右折し、会津西街道を離れて数キロ先の日光北街道(国道461号線)を目指す。
田んぼに張られた水に日光連山が映る景色を眺めながら長閑な農道を歩き、日光北街道に合流。程なくして鬼怒川に架かる「大渡橋」を渡る。

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鬼怒川を渡ってすぐに「船場」と書かれた信号がある。
地名を表していると思われるので、橋が架けられていなかった時代の芭蕉と曾良は渡し船を利用したのではと想像する。
※あとで曾良随行日記を読み返してみると「絹川ヲカリ橋有。大形ハ船ワタシ。」と記されていることから、芭蕉は鬼怒川に架けられた仮橋を利用した様だ。

「船場」の信号を右折したところでお饅頭屋さんが目に入る。
今日は早起きをして4時半に朝食をとってから何も食べていないのでお腹が空いていたところ。
迷わず店に入り、美味しそうな饅頭を買って店の中で休憩しながら食べさせて頂く。

店を出て国道はまもなくバイパスが分岐するが左の旧道方面に進み「船生宿」に入る。
宿場の面影は残っていないが商店と民家が建ち並ぶ趣きのある通りを進み、街外れでバイパスと合流する。
合流する道路に挟まれたコンビニに立ち寄り駐車場で昼食をとり後半の行程に備える。

暫く国道を進み再びバイパスが分岐する辺りが「玉生宿」の入り口。
曾良随行日記には
「同晩 玉入宿。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル」
と記されている。
夜遅く玉入宿に到着するも泊まる宿が無く、名主に頼みこんで家に泊めて貰ったらしい。
街道から左の小道を少し入ったところに「芭蕉一宿之跡」と刻まれた碑が建てられていることから、芭蕉が一宿一飯の恩義にあずかった名主の家がこの場所にあった様だ。

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「玉生宿」を通り抜けると再び旧道はバイパスの終点と合流。
ここから国道461号線は山あいを縫うなだらかな上り坂になる。
途中で倉掛峠を超える旧道(山道)がある筈だが見つけることが出来ずに通り過ぎてしまい、山あいを抜けると遠くに矢板市街地が見えてくる。

芭蕉が目指した東北地方へ伸びる現代の大動脈「東北自動車道」を眼下に眺めながら陸橋を渡ると中心街は間近。
「道の駅やいた」に立ち寄り本日のゴールJR宇都宮線「矢板駅」に到着。

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2017年12月10日

曾良について

4月にスタートした奥の細道を辿る旅、年内に白河の関跡迄を目指していたが、11月上旬にランニング中に痛めてしまった右膝が未だ治らない為、10月にゴールした「大桑」以遠は来年以降の楽しみになってしまった。

芭蕉と曾良は江戸から日光までの約160Kmの行程を3泊4日で歩いているが、自分は2倍の8日間かかっており、草鞋を履きしかも身の回りの荷物を背負った旅姿で一日に約40Kmを歩いている二人の健脚振りには感嘆してしまう。


ところで、奥の細道を歩き始めて分かったのが、旅の様子をより詳しく窺い知る為には、芭蕉に同行した弟子曾良の書き残した「曾良随行日記」が手助けになるということ。

芭蕉の「奥のほそみち」は紀行文と俳句で綴られているが、「曾良随行日記」は文字通り旅の出来事を毎日の様に書き記した日記の体裁をとっている為、出会った人物や旅の様子が朧げに浮かんでくる。
と言っても原文なので充分に解釈出来ているわけではないが、芭蕉と同様に曾良にも興味を持ち始めた。

そんな折、ブックオフで「謎の旅人 曽良」(村松友次:著)が目に留まり購入する。

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諸説あると思うが、本の内容は、なぜ曾良が芭蕉の随行者になったか、幕府筋からの指図と思われる様な旅の途中での行動、芭蕉との関係、後に幕府の用人として九州方面巡見使に随行したことなど、奥の細道の旅から亡くなるまでの曾良の一生について、残されている様々な資料を基に実像に迫ろうとする研究本。

本文中で紹介される当時の資料も現代語訳で解説されており読み易く、ミステリーを読む様な感じで一気に読み終えた。
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2017年10月09日

奥の細道を辿るH 日光〜大桑

日光から今市に戻り、会津西街道を大桑まで歩く。
今回の歩行距離は約11キロと短いが、次回の行程(東武鬼怒川線「大桑駅」からJR宇都宮線「矢板駅」を予定)を考慮して設定した。

日光から今市迄は日光街道を戻らずに、芭蕉が通ったとされる大谷川を挟んで日光街道の対岸にあるルートを歩き、今市から会津西街道を大桑まで北上する。
曾良の随行日記には「・・・日光ヨリ廿丁程下リ、左ノ方ヘ切レ、川ヲ越、・・・」と記されている。

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大谷川に架かる橋を渡り、男体山を背にして緑の松林に覆われたゴルフ場や緑地公園を右手に眺めながら快適な道が暫く続く。
日光から7キロ余り歩き、今市と会津若松市を結ぶ会津西街道(国道121号線)に出る。

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今市で合流し日光東照宮へ続く三本の街道(日光街道、例幣使街道、会津西街道)は日光杉並街道と呼ばれており、会津西街道に入ると暫く杉並木が続く。
この区間も道路の両側に歩道が無いので、例幣使街道の杉並木の時と同様に、用心の為に左手に白いジャージの上着持ち、対向車が見える度に軽く振りながら歩く。

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杉並木に挟まれた道路を無事に通り抜け、「大桑駅入口」の標識を右折し会津西街道と別れる。
人家の間を縫う様に長閑な道を進み、東武鬼怒川線の「大桑駅」に到着。
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2017年09月24日

鉢形城跡:小説「叛鬼」を読んで

今回で3回目になるが、寄居の鉢形城跡を訪れる。

最初はNHK大河ドラマ「天地人」が放送された時に、上杉景勝、直江兼続が小田原城を攻める進軍の途中に攻略し、籠城する城主北条氏邦に開城をさせた城として、2回目は昨年の大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地を巡った時に、同じく小田原攻めの際に前真田昌幸も包囲軍に加わっていたことを知り訪れている。

今回は時代を更に100年余り遡り、鉢形城を築城したと言われている長尾景春の生涯を描いた小説「叛鬼」(伊藤潤:著)を読み終え、あらためて鉢形城跡を訪れる。
広大な城郭跡は前回歩いていることから、今回は城郭跡内にある「鉢形城歴史館」だけを見学。

小説「叛鬼」の舞台は室町幕府末期の北関東。
物語は長尾景春の乱を軸にして、関東管領、家宰、古河公方と言った当時の権力者の謀略や寝返りに満ちた勢力争いが描かれている。
その為、登場人物の立ち位置や戦いの流れが複雑で、物語の大筋は楽しめたものの仔細について充分に理解できないまま読み終えてしまった感がある。

今回、物語のレビューも兼ねて歴史館を訪れ見学し、歴史館で販売されている鉢形城に関する冊子も購入し読んでみた。
その甲斐もあり、あらためて物語の流れを史実に重ね合わせて理解することが出来た。

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写真は鉢形城本丸跡:昨年撮影
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2017年09月12日

奥の細道を辿るG 今市〜日光(裏見の滝)

今回は、今市から日光「裏見の滝」を巡り日光駅へ戻る約23キロを歩く。

「東武下今市駅」から少し歩き旧街道へ出ると、Y字路に挟まれた場所に追分地蔵尊がある。
小山市で旧日光街道から分かれて壬生街道、例幣使街道と芭蕉が歩いた道を辿ってきたが、このY字路で再び旧日光街道と合流する。
地蔵尊にお参りし、両街道の合流点を7時半頃にスタート。

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日光方面へ暫く進むと旧街道は車道から外れ、舗装されていない土の杉並木道が数キロ続く。
早朝の為か、週末にも拘らずこの杉並木区間で出会ったのはランナーひとりだけ。
江戸時代の人々が往来し、戊辰戦争の時には官幕両軍の戦いの場になったことなどに思いをめぐらせながら、人気の無い静かな道を歩く。

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杉並木を抜けて日光駅前を通過する辺りから様相がガラリと変わり、道の両側に土産物屋や旅館などが建ち並ぶ観光地の賑わい。
有名な「神橋」を眺めて暫く川沿いに歩き、途中から左方面に国道を外れ「含満ガ淵」を目指す。

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曾良の随行日記には「辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ滝・ガンマンガ淵見巡、」と記されている。

川沿いの散策道から「含満ガ淵」を見下ろすと、岩を流れる白い急流とエメラルドグリーンの淵が交互に続く渓流を眺めることが出来る。

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芭蕉が巡ったコースとは順序が逆になるが、次に「含満ガ淵」から4キロ程離れた「裏見の滝」を目指す。
途中、大日堂跡にある芭蕉の句碑に立ち寄る。
解説板には芭蕉が日光を詠んだ「あらたふと 青葉若葉の 日の光里」の句碑と書かれているが、刻まれた文字が薄く判読が難しい。

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再び国道に戻り、右手に分かれる裏見の滝方面の道路標識に導かれて坂道を30分程歩くと滝の駐車場に到着。
ここから山道を10分ほど登り滝音が聞こえ始め、滝の冷気が漂ってくると「裏見の滝」が現れる。

昔は滝の裏側に設けた道から滝を裏側から見ることが出来たことから「裏見の滝」と呼ばれているが、明治時代に滝の上部の岩が崩落し現在では滝の裏側を見ることが出来ないとのこと。

芭蕉は此処で「しばらくは 滝にこもるや 夏の初め」の句を詠んでいる。

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「裏見の滝」から日光市街地へ戻り、今回のゴール「東武日光駅」に到着。
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2017年08月07日

奥の細道を辿るF 鹿沼〜今市

今回は、鹿沼〜今市までの約21キロを歩く。

この区間は、年内に歩く予定のコース中で難所のひとつと考えていた。
と言うのも、数年前にマラニックで例幣使街道を走った時に経験したのだが、杉並木が続く例幣使街道(国道121号線)の今市寄りの約10キロはほとんど側道が草に覆われたり無かったりする。その為、往来する車に気を付けながら杉並木に挟まれた道路を歩かなければならい。

一度旧街道は自分の足で通っていることもあり、今回はこの区間に沿って迂回出来る道がないか調べるも適当なルートが見当たらず、出来る限り危険を回避する準備をして出掛けることにする。

まず、装いはドライバーの目に留まり易い白い帽子をかぶり真っ白なTシャツにする。
あと、歩く日を、例幣使街道の今市寄り約5キロ区間の車両通行規制が行われる「日光杉並木マラソン」が開催される8月6日にする(過去にこのマラソンに参加したことがあり、思い付く)。

昨日は、マラソン区間の車両通行規制が終了になる10時の1時間前(9時)迄には今市の手前5キロ付近まで足を進めておく必要があると考え、前回ゴールの東武日光線「新鹿沼駅」を午前6時にスタートする。

駅を出て暫くの所にある「まちの駅 新・鹿沼宿」には、旧街道を眺める様に芭蕉と曾良の木像が置かれている。鹿沼は木工の町としても知られているとのことで、7月に来た時には芭蕉の木像を「新鹿沼駅」と「光太寺」でも見かけている。

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市街地を過ぎて黒川に架かる御成橋を渡り暫く進むと、点々と杉並木が始まるが、この辺りは杉並木の外側に側道があり車の往来を気にすることなく歩く。
この側道が途切れるのが日光市(旧今市市)の道路標識と「杉並木寄進碑」が建つ市境。

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旧街道の姿を残す杉並木は風情があるものの、いよいよ、ここからは側道を歩くのが困難な為に道路の右端を車の往来に注意を払いながら歩く。
ここで思い付いたのが、雨に備えて持ってきた白い簡易レインコートを広げて左手に鷲づかみして歩くこと。
これは効果があり、対向するドライバーが遠くから気づいてくれる様で、どの車も早めにセンターライン寄りにハンドルを切り通過してくれた。

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江戸より小山・壬生を経て凡二十七里と書かれた標識が建つ「板橋一里塚」を過ぎるとようやくマラソンの車両通行規制が始まる地点に到着。
時刻は9時5分、係の方に許可をもらってマラソン区間の左端を歩く。
この時刻になるとキロ6分以上のペースで走っているランナーがほとんど。
時間が経つにつれて追い越していくランナーの中には歩きの自分とさほどスピードが変わらない人もおり、話しかけられたりしながら今市市街地を目指す。

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車両通行規制が解除になる10時ジャストにマラソン区間を抜けることが出来た。
今回懸念していた区間も無事に通過し、この日の目的地「東武鉄道下今市駅」にゴール。

車を停めている新鹿沼駅へ戻る電車の発車時刻までの時間を利用して、東武鬼怒川線を走るSL「大樹」の運行開始を3日後に控え、7月に下今市駅構内にオープンしたばかりのSL展示館と転車台広場を見学する。

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2017年07月02日

奥の細道を辿るE 壬生〜鹿沼

今回は、壬生〜鹿沼までの約18キロを歩く。
旧宿場町は壬生宿から壬生街道を辿り、楡木宿で例幣使街道と合流して鹿沼宿まで。

東武宇都宮線と東武日光線の分岐点になる「新栃木駅」まで車で行き駅周辺の駐車場に車を停め、前回ゴールの東武宇都宮線「壬生駅」まで電車で移動。

壬生駅前を6時半にスタートし、商店街通りに残る脇本陣跡を右手に見ながら歩くと国道352号線が交差する。交差点を左折し鹿沼方面を目指す。
日曜日の早朝と言うことでクラブ活動に向かう何組かの中学生とすれ違うが、「おはようございます」の挨拶が清々しい。

北関東自動車道をくぐった少し先の田んぼの中に「金売り吉次の墓」を見ることが出来る。
吉次は鎌倉時代に源義経につかえていた豪商で、義経が奥州へ逃げ延びる際に同行し、この地で生涯を終えたと言われている。
曾良の随行日記には「ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有」と記されている。

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国道352号線を楡木方面へ進むと「稲葉一里塚」と、その4キロ先に「北赤塚一里塚」がある。
「北赤塚一里塚」の隣には、江戸から二十五里(約百キロ)と書かれた標識が建てられている。

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更に進むと道路の両側に杉並木が現れる。杉並木の距離は100m程度だが、この道が日光に続いていることを初めて実感する。
楡木の追分交差点で左からの例幣使街道と合流する。
交差点には「右中仙道・左江戸道」と刻まれた石の道標が建っている。

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例幣使街道は数年前に群馬県の倉賀野からマラニックで走っているので、ここから日光までの区間は二度目になる。

追分交差点から6キロほど歩き東武日光線の「新鹿沼駅」に一旦ゴールし時刻表を確認した後、駅の北方にある「光太寺」を訪れる。
このお寺には「芭蕉の笠塚」がある。
鹿沼で「光太寺」に泊まった芭蕉が、江戸から所持した編み笠を寺で新しい笠に替えて日光に向かったと伝えられており、芭蕉が亡くなった後に残された古い笠を取り出してこの笠塚を建てたとのこと。

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「光太寺」にお参りをした後は「まちの駅 新・鹿沼宿」に立ち寄り、再び新鹿沼駅にゴールする。
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2017年06月11日

奥の細道を辿るD 小山〜壬生

今回は、小山〜壬生までの約16キロを歩く。
旧宿場町は小山宿から壬生街道を辿り飯塚宿を経て壬生宿までだが、「室の八島」を訪れた為に、コースは途中で壬生街道を一旦外れて壬生で再び街道に合流する。

今回も交通費と時間のコストメリットを考えて「小山」まで車で行き小山駅周辺の駐車場に車を停め、先ず小山城跡公園を散策してから前回のゴール地点を7時半にスタート。

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小山市街地を過ぎて喜沢の交差点で旧日光街道に別れを告げる。
旧壬生街道に入り1キロほど歩いたゴルフ場敷地内に「喜沢一里塚」、更に4キロ先の道沿いに「飯塚一里塚」を見ることが出来る。
何れも市の史跡に指定されており、解説板に詳しい説明が書かれている。

国分寺町の花見ケ丘の交差点で左折し、壬生街道を外れ「室の八島」を目指す。
思川の右岸へは橋を渡るが、曾良随行日記に記されている芭蕉が船で渡河したと思われる箇所が更に上流にあるとの事なので、川に沿って上流に向かって歩く。
随所に立っている「マムシに注意(マムシの絵入り)」の看板にビクビクしながら、持参している地図を頼りにその場所を目指すも分かりづらく、スマホで現在地点を確認しながらようやくたどり着く。

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惣社河岸の碑から1キロほどで「室の八島」がある大神神社に着く。
両側に灯篭が並ぶ参道を進むと本殿前の鳥居に藁で編んだ「茅の輪」が設けられている。
6月中に限定した神事とのことで、説明板に習って「茅の輪くぐり」の儀式を行い本殿に参拝し、「茅の輪くぐり参拝の証」と書かれた木札を購入する。

神社境内にある「室の八島」は池の中に八つの島があり、それぞれに神社が鎮座している。
池のほとりには芭蕉がここで詠んだ「糸遊に 結びつきたる けぶりかな」の句が刻まれた句碑が建っている。
奥の細道の中には、この地で同行の曾良が「室の八島」の由来について芭蕉に説明したくだりも記されている。

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大神神社を後にして壬生を目指し県道2号線を進む。
本日のゴール東武宇都宮線「壬生駅」に到着するが、今回も時間に余裕があった為、「壬生城跡公園」内にある「町立歴史民俗資料館」に立ち寄り、壬生の歴史に少し触れる。

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2017年05月28日

奥の細道を辿るC 古河〜小山

今回は、古河〜小山までの約17キロを歩く。
旧宿場町は、古河宿から野木宿、間々田宿を通り小山宿まで。

所要時間と交通費のコストメリットを考えて、「古河」まで車で行き古河駅周辺の駐車場に車を停めてスタート。

前回のゴール地点に建つ「右 江戸道、左 日光道」と刻まれた道標に従い左の道を進み、街灯に「旧日光街道 古河宿」の旗が掲げられた商店街を数百メートルで右折し、暫く歩くと再び県道と合流。

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古河市から栃木県(野木町)入ってすぐ、県道と国道4号線と合流する付近の少し奥まったところにある野木神社を目指し本殿に参拝。
1,600年前、仁徳天皇の時代に建立された神社とのことで、境内の樹齢1,200年の大イチョウは見応えがあり、黄葉の季節にも参拝に訪れたい。
また境内には芭蕉の句碑があり、句碑の隣の立札には、冬の遊水地の様子を歌った句「一疋屋の はね馬もなし 河千鳥」と書かれている。

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野木神社から国道4号線を暫く進み、国道(旧街道)沿いの「法音寺」を訪れる。
本堂にお参りしたあと、山門の脇にある芭蕉の「道ばたの むく毛は馬に 喰われけり」の句が刻まれた句碑を見る。
解説板には安永9年(1780年)に建てられた句碑で、この句は芭蕉が「奥の細道」の旅に出る5年前、東海道を上方への旅「野ざらし紀行」に向かった際につくられた旨の説明が記載されている。

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国道4号線の70キロポストを過ぎて間々田に入る。
芭蕉と共に旅をした曾良の随行日記には「廿八日、ママダニ泊ル。カスカベヨリ九里」と記されており(※)、江戸を出て二日目の夜に泊まった宿場とされている。
今回も時間に余裕があったので、JR間々田駅の近くにある「小山市立博物館」と「車屋美術館」に立ち寄り、小山の歴史と近代美術に少し触れる。

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美術館を出て暫く歩くと「旧日光街道間々田宿 逢いの榎(間の榎)」の立札が目に留まる。
解説板を読むと「間々田宿の入り口にある榎は、江戸と日光と中間点の目印となり『間(あい)の榎』と呼ばれていたが、いつの頃からか『逢の榎』と呼ばれる様になり、縁結びの木として人々の信仰を集める様になった」とのこと。

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途中の信号で国道4号線から分岐する県道を進み、国道50号線の陸橋をくぐると旧街道は小山市街に入る。
小山本陣跡を左手に見て、本日のゴールJR小山駅に到着。

(※)奥の細道を歩く為に購入した以下の文庫本の曾良随行日記より引用。
 ・「新版 おくのほそ道(現代語訳/曾良随行日記付き)」:角川ソフィア文庫
 ・芭蕉と旅する「奥の細道」:PHP文庫
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2017年05月23日

思い出の旅館

先週末、都内の本郷へ出掛ける用事があり、そのついでに一度訪れてみたいと思っていた旅館「鳳明館」のある場所へ行ってみる。

「鳳明館」は中学校の修学旅行で宿泊した旅館なので約50年振りに訪れたことになる。
本郷の閑静な街並みの中にあり、行ってみると老舗旅館として当時のたたずまいのまま営業されており、門の壁には文化庁の有形文化財に登録されていることを示すプレートが取り付けられている。

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中学校の修学旅行は、早朝に三重県の田舎から名古屋まで貸切バスで移動し、名古屋駅から当時東海道線を走っていた修学旅行専用列車「こまどり号」に乗車し小田原駅で下車。
小田原駅から観光バスで箱根を周遊し、一泊目は「箱根小涌園」に宿泊。
二日目は、鎌倉・江の島〜横浜港〜羽田空港を見学して都内に入り、「鳳明館」がその日の宿になる。
宿での様子は断片的な記憶しかないが、夕食後に東京に住んでいた5人の伯(叔)父と叔母が揃って旅館まで会いに来てくれて、応接間で話をしたことを憶えている。

今では伯(叔)父と叔母共に亡くなっているが、再び旅館の前を通り懐かしい気持ちになる。

たまたま帳場にいらっしゃったご主人らしき同年輩と思われる方と修学旅行で宿泊したこともお話し、宿泊料金をお尋ねすると今でも思いのほかリーズナブルなことがわかる。
二日がかりで東京へ出掛けることがあれば、是非とも利用したい気持ちになる。
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2017年05月09日

赤城乳業工場見学

アイスキャンデーのガリガリ君で有名な赤城乳業の工場見学に娘が応募したことから、孫を連れて「本庄千本さくら『5S』工場」へ出掛ける。

背後の緑の山々に抱かれる様に建つ工場は、2010年にオープンとのことで建物や敷地内の環境にも未だ新しい雰囲気が漂っている。
ここは日本で最大規模のアイスクリーム工場で、国内のアイスクリーム生産量の約10%を生産処理能力を持つ。

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見学は約1時間半のコース。
最初にプレゼンテーションルームで工場概要等の説明とDVD視聴が行われ、その後工場内のアイス製造工程を見学し、最後にガリガリ君ルームで製品を試食(何個でも自由)させて頂く。

工場名にもなっている「5S」は、整理・整頓・清掃・清潔・躾の頭文字をとっており、工場で働く方々の日々の行動に活かされている旨の説明を受ける。
自家用車で工場敷地内に入る際の守衛の方の親切な対応、清潔感が漂う建物内、衛生管理の徹底された工場施設やすれ違う従業員の方からの挨拶等に触れて、職場内に5S活動が浸透されている印象を受け、アイスだけに爽やかな気分で工場を後にする。
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2017年04月30日

奥の細道を辿るB 幸手〜古河

今回は、幸手〜古河までの約15キロを歩く。
旧宿場町は、幸手宿から栗橋宿、中田宿を通り古河宿まで。

前回のゴール東武日光線の「幸手駅」を午前8時にスタート。

旧日光街道に出て、一里塚跡の案内板などに足を止めながら進むと右手に桜の名所「権現堂桜堤」が見えてくる。
もちろん桜は既に散り、つい2〜3週間前は花見客で賑わっていた堤は静かな新緑の遊歩道に様変わりしている。
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中川にかかる橋を渡り、国道4号線と並行して走る旧街道を歩く。
途中、「左 日光道、右 つくば道」と石に刻まれた旧い道標に行き当たる。案内板には、安政4年(1775年)にこの場所に建てられた書かれている。
芭蕉が奥の細道を旅したのが元禄2年(1689年)なので芭蕉はこの道標を目にしていないことになるが、300年も前の姿で現代に残る重要な文化財であることは言うまでもない。

道標を後にして暫く進むと「小右衛門一里塚」がある。日本橋から十四番目(56Km)の一里塚で、土を盛った塚の形を今も留めている。
この案内板には、江戸幕府は主要街道の塚の整備を慶長9年(1604年)から始めた旨が書かれていることから、この一里塚で芭蕉も休憩したかも知れず。

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国道125号線の下をくぐると道は旧栗橋宿に入る。
街道沿いの寺に建てられた「栗橋八福神」の幟を見て、すっかり忘れていたが4年前の七福神巡りのマラニックで栗橋市街も走ったことを思い出す。

栗橋から利根川を渡ると茨城県に入り最初の旧宿場町が中田宿。
街道沿いの「光了寺」に芭蕉の句碑があることを事前に古河市のHPで調べていたので、寺に立ち寄る。
境内に入り本堂にお参りをしてから、ご住職の了解を得て句碑の写真を撮らせて頂く。
句碑には「いかめしき 音やあられの ひのき笠」の句が刻まれている。

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中田宿から古河宿間には、数ある街道の中でも最も美しい景観のひとつに数えられた松並木があったらしいが、昭和13年に道路拡張の為に樹齢300年の松が次々に伐採されて当時の面影は無くなってしまったとのこと。
平成になり松並木の復元整備が実施され、現在は旧街道の両側に新たな松が植えられている。

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旧古河宿に入り、北条氏時代の歴史小説を読んでいると古河公方というのが出てくることを思い出し、時間に余裕もあることから古河歴史博物館を訪れ古河の歴史に触れる。
この地は古河城の城下町として発展したとのことで、市内の史跡・寺社を巡る散策道には石畳が敷かれ景観も整備されている。

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「右 江戸道、左 日光道」と刻まれた日光街道古河道標まで進み、今回はJR宇都宮線の「古河駅」をゴールとする。

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2017年04月29日

ネモフィラ

スポーツ文化公園内に植えられたネモフィラが4月上旬から咲いており、セラピーガーデンを綺麗に埋め尽くした水色の花がジョギングの目を楽しませてくれる。

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