2016年05月29日

真田丸D 真田の郷を歩く

ドラマでは真田氏の本拠地が上田城に移ったが、やはり真田一族発祥の地を一度は訪れてみたいと思い、真田氏の史跡が点在する真田の郷を歩いて巡る。
コースは、
真田氏発祥の郷碑 〜 真田氏館跡・真田氏歴史館 〜 真田氏本城跡 〜 砥石城跡 〜 米山城跡 〜(バス移動)〜 上田城跡

上田駅から菅平行のバスに乗り、途中の下原バス停で下車。
停留所の向いある小さな公園に「真田太平記」作者の池波正太郎さんの字による「真田氏発祥の郷」碑や真田家三代に亘る当主のレリーフがあり、ここから真田の郷巡りをスタートする。

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碑のある公園から荒井経由でなだらかな上り勾配の道を5kmほど歩き、最初の目的地「真田氏館跡」に着く。
館跡には「皇大神宮」が建てられており、敷地内には当時の土塁の跡が残っている。
「皇大神宮」は、真田昌幸が真田氏の館を上田城へ移すにあたり、この地が荒廃することの無い様に招いたとのこと。
「真田氏館跡」に隣接する「真田歴史館」に入り、真田氏ゆかりの書状や武具などを見学する。
真田郷を俯瞰したジオラマや真田氏の歴史をわかり易く解説する電光表示盤などもあり、展示室は一室ながらも展示物が充実している。

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「真田屋敷跡」から北方に2Kmほど歩き、小高い山の上に残る「真田本城跡」に登る。城跡の敷地は本丸跡から二の郭、三の郭跡が尾根上に続く。
ここからは、真田の郷や幾つかの山城があった周囲の山々を一望することが出来、本城が戦略上重要な位置にあったことが良く分かる。
真田の郷を隔てた向かいには、これから向かう「砥石城跡」がある峰を望むことも出来る。

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本城跡から「砥石城跡」の登山口までは真田の郷を上田方面へ3Kmほど下る。
この辺りは今が田植えの時期の様で、家族総出で田植えが行われている景色を随所に眺めながら歩く。

「砥石城跡」は登山口から尾根上の登山道を30分足らずの登りで辿り着くことが出来るが、終盤の急階段がきつく、何度も立ち止まり息を整えながらようやく城跡に到着。
(写真では緩やかな様に見えるが急な階段が目の前に立ちはだかり、下る時に数えた段数は400段を超えていた)。
「砥石城」は標高800mに築かれており、武田信玄が大軍をもっても攻め落とすことが出来なかった堅牢な山城。
この様な高所に山城を築きあげた当時の人々の苦労の大変さを想像する。

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「砥石城跡」から鞍部を隔てた「米山城跡」へ向かうが、頂上の城跡に大きな蜂が数匹旋回しており、城跡碑の写真を撮ることなく退却。
登山口の模擬砦に「スズメ蜂の巣に注意」の看板があったことを思い出す。

登山口に近い伊勢山バス停から上田行きバスに乗り上田駅まで戻る。
今日は真田の郷だけを巡るつもりで来ていたが、時間に余裕が出来たことから「上田城跡」を1時間ほどかけてじっくり散策する。
2年半前に上田城跡を訪れた時とはうって変り、真田丸ブームの影響で大勢の観光客が訪れ(自分もそのひとりだが)賑わっており、東虎口櫓門の前には屋台も出現している。

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最後に市内にある「池波正太郎記念館」を見学し上田駅へ戻り、新幹線車内で冷えた缶ビールで乾いた喉を潤しながら帰路につく。
posted by 酔〜いどん at 17:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月07日

スポ文公園でBBQ

最近スポ文公園のジョギングコース沿いに立っている「スポーツ文化公園BBQサービス」の看板がいつも目に留まっていたが、GW中にこのバーベキューサービスを予約し、家に遊びに来ていた息子・娘夫婦と孫達と一緒に利用する。

好みの食材・飲物を持参するだけで、予約された場所にコンロ、テーブル、椅子等が予め準備されており炭火も着火してくれるといった、手軽に利用出来るサービス(しっかり管理されていて、質的にも高いと感じた)。

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20年以上ランニングのホームグラウンドにしているスポ文公園だが、この日ばかりは青空の下でビールを飲みながら賑やかにバーベキューを楽しむ。
posted by 酔〜いどん at 16:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月01日

真田丸C 箕輪城跡

高崎市近郊の箕輪城跡へ出掛ける。
日本百名城に選定されている城だが建物は現存しておらず、丘陵上に築城当時の堀や石垣などの遺構があり、平成10年から発掘調査が行われ現在は史跡の環境整備が進められている。

大河ドラマ「真田丸」では、神流川の戦いで今川軍に敗れた織田勢の滝川一益が箕輪城へ退却したことから、一益に母を人質にとられている真田昌幸が城に入り、伊勢へ戻る事を告げる一益と城内で酒を酌み交わす場面があった。

出掛ける前に城の歴史を少し調べたが、1500年前後に長野業尚により築かれ、その後は長野氏、武田氏、織田氏、北条氏と城主が代わり、徳川家康の時代に井伊直政が治めるも8年後に居城を高崎に移し、箕輪城は廃城になったとのこと。

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当初は高崎駅から城跡まで歩くことも考えていたが、所要時間と脚力を考慮し路線バスを利用する。
箕郷手前の四谷バス停で降り、箕郷支所の休日窓口でパンフレットを貰い、城跡のある丘陵を目指して緩やかな坂道を上ること20分程で「大手虎韜門口」に着く。

「大手虎韜門口」から「大堀切」と呼ばれる大規模の空堀を登り尾根上に出るが、当時の門の復元工事が行われており「二の丸」方面へ通り抜けが出来ず、一旦「搦手口」まで下り、「二の丸」があった丘上を目指して再び坂を上る。
「二の丸」跡で地元の方から見学コースの説明を受け、先ずは代表的な順路に従い「本丸南堀」を通り「御前曲輪」、「本丸」の跡等を巡る。

順路を一回りした後も時間に余裕があったことから、パンフレットの城郭図を片手に東西約500m、南北約1,100mの広さと言われる城内につけられた遊歩道をくまなく歩き、ようやく城郭全体のイメージが湧いてくる。
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巨大な空堀や河原から運んだと思われる大小の石で組まれた石垣をじっくり見ていると、城の攻防戦の歴史もさることながら、築城に費やされたにちがいない大変な労力とそれを負担した人々にも思いを馳せてしまう。

posted by 酔〜いどん at 16:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする