2014年08月12日

千本松原

台風11号が西日本を横断し、三重県に大雨特別警報が発令されていた9、10日に岐阜県と三重県に帰省し、台風の影響をまともに受けてしまう。
台風が去った11日、帰路の名神高速岐阜羽島ICに向かう途中、木曽三川公園に立ち寄り展望台から長良川・揖斐川を眺める。

写真中央にのびる緑の堤が「千本松原」と呼ばれ、長良川(左)と揖斐川(右)の流れを分けているが、この「千本松原」には治水工事に携わった人々の苦難の歴史がある。
東海地方では有名な史話なので少し紹介させて貰います。

P1020909.JPG

古くからこの地域は木曽川、長良川、揖斐川の流れが接近し合流していた。
その為、大雨の度に川が氾濫し水害による甚大な被害がもたらされ、江戸時代に、幕府はこの流れを堤で分流する治水工事を尾張から遠く離れた外様大名の薩摩藩に命じる。
幕府の命令を受け、遠く故郷を離れて尾張の地にやって来た薩摩藩士が工事に臨むが、多数の犠牲者がでる難工事となる。ようやく治水工事が完成した後には、工事監督を行った薩摩家老平田靫負は責任をとって自害をする。
その後、犠牲者を弔うために薩摩藩士の手により植えられた松が育ち「千本松原」と呼ばれている。

展望台から松並木が続く堤を眺めていると、大河を分流する治水工事がいかに困難だったか推測できると共に、難工事をやり遂げた薩摩藩士に対して畏敬の気持ちが湧いてくる。
posted by 酔〜いどん at 21:08| Comment(6) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こういう話は大好物ですね。

それは初めて知りました。
そういう尊い犠牲の上に成り立っている事を知ると同じ景色を見ても見方が一挙に変わりますね。

感慨深いものがあります。

家老の心中・・・軽々しく言えません。
Posted by ニャ〜ス7号 at 2014年08月12日 22:48
家老の平田靫負は、莫大な工事費により藩に負担を負わせた(財政を負担させて薩摩藩を弱体化させることが幕府の狙いだったのですが)事と、藩士を含め多くの犠牲者を出した事の責任をとり、故郷を遠く離れたこの地で自害したとされています。





Posted by 酔〜いどん at 2014年08月13日 21:20
こういう素晴らしい人の下で働けた人はある意味、幸せだったかもしれませんね。

いつの時代でも、その逆の人が大勢いたんでしょうから・・・
越後屋とか悪代官とか^^;

Posted by ニャ〜ス7号 at 2014年08月13日 22:10
問題の責任を部下に転嫁することなく、自分で全てを背負う。
組織の上に立つ人の鑑だと思います。
Posted by 酔〜いどん at 2014年08月13日 22:40
良い話、ですね。
昔の人は、まずきちんと物事をやる。
やり切った後で、その進退までをも言及する。
とても真似出来る事ではありません。
Posted by やまとそば at 2014年08月15日 19:21
自分の職務に真摯な姿勢で取り組み、責任をまっとうする。
最近の地方議員の不祥事と記者会見、とてもその様には見えませんね。



Posted by 酔〜いどん at 2014年08月16日 20:43
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