2016年05月01日

真田丸C 箕輪城跡

高崎市近郊の箕輪城跡へ出掛ける。
日本百名城に選定されている城だが建物は現存しておらず、丘陵上に築城当時の堀や石垣などの遺構があり、平成10年から発掘調査が行われ現在は史跡の環境整備が進められている。

大河ドラマ「真田丸」では、神流川の戦いで今川軍に敗れた織田勢の滝川一益が箕輪城へ退却したことから、一益に母を人質にとられている真田昌幸が城に入り、伊勢へ戻る事を告げる一益と城内で酒を酌み交わす場面があった。

出掛ける前に城の歴史を少し調べたが、1500年前後に長野業尚により築かれ、その後は長野氏、武田氏、織田氏、北条氏と城主が代わり、徳川家康の時代に井伊直政が治めるも8年後に居城を高崎に移し、箕輪城は廃城になったとのこと。

P1060256.JPG

当初は高崎駅から城跡まで歩くことも考えていたが、所要時間と脚力を考慮し路線バスを利用する。
箕郷手前の四谷バス停で降り、箕郷支所の休日窓口でパンフレットを貰い、城跡のある丘陵を目指して緩やかな坂道を上ること20分程で「大手虎韜門口」に着く。

「大手虎韜門口」から「大堀切」と呼ばれる大規模の空堀を登り尾根上に出るが、当時の門の復元工事が行われており「二の丸」方面へ通り抜けが出来ず、一旦「搦手口」まで下り、「二の丸」があった丘上を目指して再び坂を上る。
「二の丸」跡で地元の方から見学コースの説明を受け、先ずは代表的な順路に従い「本丸南堀」を通り「御前曲輪」、「本丸」の跡等を巡る。

順路を一回りした後も時間に余裕があったことから、パンフレットの城郭図を片手に東西約500m、南北約1,100mの広さと言われる城内につけられた遊歩道をくまなく歩き、ようやく城郭全体のイメージが湧いてくる。
P1060265.JPG P1060271.JPG

巨大な空堀や河原から運んだと思われる大小の石で組まれた石垣をじっくり見ていると、城の攻防戦の歴史もさることながら、築城に費やされたにちがいない大変な労力とそれを負担した人々にも思いを馳せてしまう。

posted by 酔〜いどん at 16:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
真田丸〜嵌ってます(笑)
時間を見つけて上田の方へ行きたい、です。
Posted by やまとそば at 2016年05月03日 19:42
今のところ上野国(こうずけのくに)の真田家ゆかりの地を巡っていますが、徐々に上田の真田の郷、上田城に足を伸ばそうと思っています。
Posted by 酔〜いどん at 2016年05月05日 20:19
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/437411291
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック