2016年11月13日

真田丸M 九度山(和歌山)〜真田丸跡(大阪)

関ケ原の戦いで石田三成ひきいる西軍が敗れ、真田昌幸、信繁(幸村)親子が幽閉された「九度山」と、大阪冬の陣で真田幸村が築いた「真田丸跡」を訪れる。

早朝に自宅を出て大阪へ向かい、難波駅から南海電鉄高野山線に乗り九度山駅に着く。
紀ノ川と丹生川に挟まれた九度山町の背後には山なみが連なり、真田親子が幽閉されていた頃は山あいに田畑と集落が点在する村だったと想像出来る。

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駅を降りて六文銭の幟が並ぶ商店街を歩き道標に従い細い坂道を下ると、真田親子が蟄居していた屋敷跡に建つ寺院「善名称院」に着く。
山門にはそれを示す様に「真田庵」の文字が刻まれており、山門をくぐった境内は本堂以外にも堂や真田昌幸の墓があり、真田ゆかりの品々を展示した「真田宝物資料館」も建っている。

当時の痕跡は残っていないものの、真田親子と一族が十数年に亘り住んでいた地を訪れることが出来たことに満足。

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九度山から大阪市内に戻りいよいよ真田丸跡を訪ねる。

真田丸は大阪冬の陣の後に徳川軍により壊され埋められてしまった為に、出城の場所は諸説あるとのことだが、JR玉造駅の西側にあったのは間違いないらしい。
事前に準備した真田丸推定地と現在の地図をオーバラップした案内図をたよりに歩く。

地下鉄の玉造駅で降り、最初に目指したのが三光神社。
三光神社は従来から真田丸跡として知られており、境内には真田幸村像と「真田の抜け穴跡」がある。
抜け穴跡の入り口は鉄柵で塞がれているが、真田幸村が大阪の陣の際に大阪城まで抜ける地下道を掘ったと跡と伝えられている。

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三光神社から更に西へ進み、大阪明星学園グラウンド前に建つ「真田丸顕彰碑」を訪れる。
最近の説では、真田丸は大阪明星学園の場所にあったとする説が有力らしく、顕彰碑も今年建てられた真新しいもの。
生徒の作品か、校舎の壁には真田幸村と思われる武将が描かれている。
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右の写真は明星学園を坂の下から撮ったものだが、坂道を隔てた左側の「心眼寺」には真田幸村の墓がある。

三光神社と明星学園は数百メートルしか離れておらず、真田丸の攻防戦がこの辺りであったことは間違いない。案内図を見ながら真田丸の堀があった推定地を辿って付近一帯を歩いてみるが道に迷い、最終的にはスマホのお世話になり駅まで戻る。


真田丸にはあまり興味が無く遅れてやって来たカミさんと娘にホテルで合流し、翌日は大阪観光を兼ねて大阪城等を訪れる。

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偶然にも昨夜の「ブラタモリ」で大阪城と真田丸が特集されていたが、番組の中で、現在の天守閣の基礎は、豊臣秀吉が建てた大阪城の石垣を埋めつくし盛土し、その上に石垣が築かれたと紹介されていた。
二代将軍徳川秀忠の命により、豊臣家の痕跡は全て無くしたらしい。

ところが、天守閣の各フロアに展示されているのは、豊臣秀吉ゆかりの品々や秀吉の生涯を紹介するコーナー等でほとんど占められており、現代になり豊臣家が再び大阪城に返り咲いた様でおもしろい。
posted by 酔〜いどん at 13:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いやいや 行ってますね^^

感慨にふけれたようで羨ましいです。

来年の秋ごろ京都の紅葉と併せて行ってみます。
Posted by ニャ〜ス7号 at 2016年11月21日 21:12
今年の3月に軽い気持ちで近場の真田丸ゆかりの地に行ったのが、運のつき。
この1年間は完全に大河ドラマに嵌ってしまいました。
12月の放送終了と共に真田丸ロスになりそうです。

来年は何を心の支えに、日曜日の夜を過ごし月曜日を迎えればよいのでしょうか。
Posted by 酔〜いどん at 2016年11月21日 21:56
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