2017年04月30日

奥の細道を辿るB 幸手〜古河

今回は、幸手〜古河までの約15キロを歩く。
旧宿場町は、幸手宿から栗橋宿、中田宿を通り古河宿まで。

前回のゴール東武日光線の「幸手駅」を午前8時にスタート。

旧日光街道に出て、一里塚跡の案内板などに足を止めながら進むと右手に桜の名所「権現堂桜堤」が見えてくる。
もちろん桜は既に散り、つい2〜3週間前は花見客で賑わっていた堤は静かな新緑の遊歩道に様変わりしている。
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中川にかかる橋を渡り、国道4号線と並行して走る旧街道を歩く。
途中、「左 日光道、右 つくば道」と石に刻まれた旧い道標に行き当たる。案内板には、安政4年(1775年)にこの場所に建てられた書かれている。
芭蕉が奥の細道を旅したのが元禄2年(1689年)なので芭蕉はこの道標を目にしていないことになるが、300年も前の姿で現代に残る重要な文化財であることは言うまでもない。

道標を後にして暫く進むと「小右衛門一里塚」がある。日本橋から十四番目(56Km)の一里塚で、土を盛った塚の形を今も留めている。
この案内板には、江戸幕府は主要街道の塚の整備を慶長9年(1604年)から始めた旨が書かれていることから、この一里塚で芭蕉も休憩したかも知れず。

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国道125号線の下をくぐると道は旧栗橋宿に入る。
街道沿いの寺に建てられた「栗橋八福神」の幟を見て、すっかり忘れていたが4年前の七福神巡りのマラニックで栗橋市街も走ったことを思い出す。

栗橋から利根川を渡ると茨城県に入り最初の旧宿場町が中田宿。
街道沿いの「光了寺」に芭蕉の句碑があることを事前に古河市のHPで調べていたので、寺に立ち寄る。
境内に入り本堂にお参りをしてから、ご住職の了解を得て句碑の写真を撮らせて頂く。
句碑には「いかめしき 音やあられの ひのき笠」の句が刻まれている。

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中田宿から古河宿間には、数ある街道の中でも最も美しい景観のひとつに数えられた松並木があったらしいが、昭和13年に道路拡張の為に樹齢300年の松が次々に伐採されて当時の面影は無くなってしまったとのこと。
平成になり松並木の復元整備が実施され、現在は旧街道の両側に新たな松が植えられている。

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旧古河宿に入り、北条氏時代の歴史小説を読んでいると古河公方というのが出てくることを思い出し、時間に余裕もあることから古河歴史博物館を訪れ古河の歴史に触れる。
この地は古河城の城下町として発展したとのことで、市内の史跡・寺社を巡る散策道には石畳が敷かれ景観も整備されている。

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「右 江戸道、左 日光道」と刻まれた日光街道古河道標まで進み、今回はJR宇都宮線の「古河駅」をゴールとする。

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posted by 酔〜いどん at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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